~ 埼玉県営鉄道霞ヶ関砂利線 ~

Visited 2008/01

ここへ出掛けたのは正月の三が日明け、まだおとそ気分も覚めやらぬポカポカとした好天快晴の某日でありました。 いつも通い慣れた入間川のサイクリングロードを下り、やって来たのは東上線は霞ヶ関駅。 今回探索を試みる埼玉県営鉄道霞ヶ関砂利線(正式名称は不詳)は、この駅から入間川へと延びていました。 ところで霞ヶ関という名は、一瞬、都心の地名と混同しそうですが、あちらの地下鉄駅は「霞ケ関」と大きな"ケ"の字が正式表記。 それにこちらは東上鉄道の的場駅として開業したのがそもそも大正5年、その後霞ヶ関に改称したのだって昭和の初期ですから、ずっと歴史の古い先輩格なのです。

とりあえず駅付近のスーパーでお昼の買出しをした後、まずは県営鉄道の砂利集積所と東武の側線があった場所へと行ってみます。 霞ヶ関砂利線は軌間762mm、一方の東武鉄道側は1067mmだから貨車の直通は不可能で、ここで積み替えの必要があったわけです。 跡地は現在東武系列の自動車学校となっており、広い敷地がそのまま使われています。 すぐ横を行き交う東武電車を眺めながら教習を受けるのはちょっと魅力的な気がしましたが、いや待てよ、鉄な人間にはかえって気が散って仕方が無いかも知れません。

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東上線脇のかすみ自動車教習所。このあたりに東武の側線とトロッコ軌道の引上線が並んでいた。

さて駅南口に戻り、狭い駅前ロータリーから走り出しましょう。 この近辺、その当時は行く手を遮る物は少なく農家が散在する程度だったと思われますが、現在は家々が建て込んでおり、正確に軌道跡をトレースする事は困難になっています。 例によって地図オーバーレイ方式で大体の位置は掴んで来ているので、それに従ってなるべく近い路地をつないで南下して行きます。 線路跡として雰囲気的にはコンビニ横手から入って行く細道が怪しげですが、5万図から照合するとその一本西側の路地あたりと合致するので、どちらが正解かは自信がありません。 あるいは、ここは終端点として留置線等もあった筈なので、この2本の道路に挟まれたブロックがそのまま敷地だったという事も考えられます。

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東上本線霞ヶ関駅南口は狭いロータリー。東武の社有バンが来て何やら荷物を降ろしていた。

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ロータリーから入って南へ向かう路地。この左手一帯が線路のあった敷地と思われる。

コンビニ脇から続く道はしばらく真っ直ぐに南下した後、徐々に西へとカーブして進み、やがてJR川越線の踏切へと至ります。 軌道敷地の方は道路から外れてその手前で川越線と交差しますが、ここは砂利線の方が早くから通っていたので、国鉄の線路はその上を回避しなくてはなりませんでした。 という事で、貴重な遺構、小さなコンクリート橋がこのクロス地点に残っているのです。 しかしながら、現在川越線の両サイドには線路敷ギリギリまで民家が建っておりまして、その場所へ近づく道も無い事から全貌を拝む事は困難。仕方なくよれるだけそばによって、ズームでチラリ写真を撮っておきました。 このあたり、上空からの航空写真を見ると住宅地の区割り等にその痕跡が良くわかります。 川越線の前後はその下を潜る為に砂利線側も若干軌道敷を掘り下げた可能性もあり、その名残りがあるのかも知れません。

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川越線との交差地点。民家裏手にコンクリート橋の残っているのがかろうじて見える。

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別の角度からもう一枚。コンクリート橋の下は、埋められずに無用の空間となっているようだ。

その先、県営鉄道の軌道は畑の中を徐々に川の方へ向って緩く下って行きます。 面影は特にありませんが、偶然でしょうか、県道に突き当たる手前の敷地が現在、県営の川越的場団地となっています。 あるいは県営鉄道の敷地が一部転用されたのかも知れませんね。 県道を越えた先は工場地帯となり、線路跡に沿って進む事は不可能です。 位置的にはおそらく、岩谷産業や杉野金属工業、そして本田金属技術の工場敷地内を通過していたのだと思われます。 間で一つ小さな流れを渡りますが、コンクリートで固められた壁に特に痕跡はありませんでした。 このあたりから砂利線は徐々に右方向にカーブして、河川敷の中へと進んで行ったようです。

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県営川越的場団地。かつての砂利線は、この団地敷地を南北に貫いて通過していたようだ。

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サイクリングロード上から工業団地を振り返る。軌道は青屋根の建物あたりから出て来る。

サイクリングロードを横切って堤防を乗り越し、入間川の河原の中を探索してみましょう。 関越自動車道の橋梁下を潜ると、耕作地のような場所の中に荒れた砂利道が一本、このうちの一部が地図上で線路の位置と重なっています。 その道自体が軌道跡なのかどうかは定かでありませんが、この場所を通過していたのは間違いないでしょう。 その先で道は堤防の方へ右斜めに曲がって離れて行きますが、線路はそのまま直進してこのあたりで尽きていたようです。 現在その終端点付近は荒地となっており、砂利を積み上げてあるのでしょうか、若干小山のような盛り上がった感じの地形が観察出来ました。

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河川敷の中を行く。道は右カーブして行くが、軌道は直進して向こうの小山状の茂みあたりが終点。

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終端点付近から入間川を望む。河原には何も無く、彼方を関越自動車道が渡って行く。

ここにかつては可愛い小さな蒸気機関車や、後期には小型の内燃機関車などが活躍していたのですが、そんな事を想像するとなんだかワクワクとして来ますね。 というわけで果果しい成果はなかったですが、以上で探訪を終え、この後はいつもの休憩スポット安比奈親水公園へ。 広大な芝生の広場でランチを食べ、対岸に安比奈駅跡の架線柱を眺めながら、幸せなシエスタのひととき(!?)を過ごしました。 暖かい芝生の上では駆け回る子供たちの歓声が、そしてその上空には風にのった凧がいくつも浮かんでいる、そんな睦月好日の昼下がりでありました。

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砂利線の終端点付近。雑草の生い茂った荒地の上を、絶え間なく雲が流れていった。

歴史:
1920(大正9)年
入間川砂利株式会社により全通(的場-入間川間2.4km)
1923(大正12)年
砂利採取県営化の為、埼玉県に譲渡
1958(昭和33)年
この頃までに廃止
参考:
 鉄道ファン 2004年8月号 「ふる里で走っていた砂利運びの小さな鉄道」 山本智之氏