■明治新政府の開墾事業下総台地の中でこのあたりは元々幕府の放牧場であり、「小金五牧」と呼ばれていた。これらは、上野牧,中野牧,下野牧,高田台牧,印西牧 の五つに分けられ、野馬が放牧されていた。それぞれの牧の周囲は野馬が逃げない様に土手で囲まれており、何箇所か設けられた出入り口は「木戸」と呼ばれていた(高根木戸、古和釜木戸等の地名はこの名残り)。 明治に入るとこの地は新政府の殖産振興策により開墾事業が行なわれ、順番に開墾・入植が開始された。これらは将来の繁栄を願って、開墾順に新しい地名が付けられる事となった。
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