中島航空金属専用線 ■1999/10

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 中島航空金属田無製造所は中島飛行機の同系会社であり、前述のように武蔵製作所で組み立てたエンジンの試運転を行っていたが、製造工場としては主に飛行機エンジンの鋳物部品を作っていたようだ。
 そのため大量の砂を必要とし、これを西武池袋線の田無町駅(現在のひばりヶ丘駅)から牛車に積み替えて工場まで運んでいたという。
 その後、一つ所沢寄りの東久留米駅から今回ご紹介する引込線が引かれたが、その目的は、この砂の搬入のためだったものと思われる。

 田無製造所は現在も 住友重工 田無製造所 として操業しており、航空機部品や防衛装備品などの製品を世に送り出している。
 今回は、武蔵製作所側から簡易鉄道を追って来た関係で、田無製造所を起点に東久留米へ向かって沿線をまわってみる。














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 1.

 田無製造所のすぐとなりは、有名なひばりが丘団地。線路はこの中を通過していたはずだが、今となってはこの地に痕跡を求めるのは無理だろう。
 写真は地図上で線路の引かれていた位置と一致するあたり。団地内の静かな公園で人けがないが、竜安寺の石庭の様にはき清められた白い砂が、気持ちよい模様を描いている。


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 2.

 かなり広い団地で、年と共に年輪を重ねた街路樹が大きく繁っており、落ちついた風景を作り出していた。私も少年期はマンモス団地が身近な存在だった(住民ではなかったが団地の小学校へ通っていた)だけに、懐かしい記憶が蘇って来る。
 団地内にはテラスハウスの見慣れた光景も展開するが、残念ながら一部区域では無人化が進んでいるようだ。あるいは、老朽化した建物をこれから建て替える所なのか。
 ちなみにここに団地の出来る前、京王がこの地に「何か」を作り、吉祥寺から鉄道を延長するという計画(噂?)もあったようだ。


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 3.
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 団地を斜めに抜けて行くと笠松坂通りにぶつかり、そこから先は「たての緑道」が続いている。
 言うまでもなく廃線跡を利用した緑道だが、頭上をずっと送電線が通っており、これから走って行く方向を示している。鉄塔に掲げられた線名はずばり「田無線」となっていた。


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