現在、急行電車の行き交う京王高尾線は、戦前に敷設された御陵線の路盤跡を再利用したものだ。
もともと多摩御陵への参拝客輸送を目的に建設された同線だが、その歴史は不運の連続だった様だ。
計画時は北回り案であったが、これが市を分断するという理由で八王子市議会に反対され、結局南回りの案に変更されて開業したのが昭和6(1931)年。
開業当初は利用客も多かった様だが、やがて中央線の省電(省エネ電車ではないよ)が盛り返し、終戦の年昭和20(1945)年に不要不急線として休止(のち廃止)されてしまった。
戦後、その路盤の一部を利用し、高尾線として開通したのは、20年以上を経た昭和42(1967)年の事だった。
(写真:1) さて、まずは御陵線跡と現在の高尾線が分離するあたりへ行ってみた。 |
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(写真:2) 写真1の地点から武蔵横山へ向かって行く道は、中央に街路樹の植わった分離帯付きの大変太いものだ。
片方が線路で埋まっていたとしても、充分余裕がある。 |
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(写真:3) さらに中央線に近づいて行く。ここらは、中央線をオーバークロスする高架線となっていたはずだ。
現在は、ロープに囲まれて雑草が元気に生い茂っているばかり。
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