中武馬車鉄道に関して、若干の記載のある資料を見付けました。「吹上村のあゆみ」という本で、筆者は青梅市吹上に代々在住の方です。私は、この馬鉄は東青梅あたりが終点だったと勝手に解釈していましたが、それによれば、実は青梅街道をさらに西進した先、現在の都バスの青梅車庫付近の「青梅森下」まで伸びていた様です。つまり、一時期青梅鉄道(現青梅線)と、平面クロスしていた事になるわけです。
早速この辺りを散策してみましたが、夏の事とて、例によって早朝のポタリングとなりました。
■大門停車場跡
まずは記載のあった中で、一番近い場所へ行ってみる。現在のつつじや(東洋米菓)のあたりに大門停車場があった。その頃もお店があり、待ち合わせの客で賑わったという。今でもこの付近、お年寄りの間では「大門停車場」で通用するそうだ。写真は奥手が青梅方向。道路右にあるのがつつじやで、交差点を右へ下って行くと塩船観音へ至る。 |
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■勝沼の踏切
次に勝沼の踏切。馬鉄が交わっていたのはここか? 旧青梅街道を、青梅線が斜めに横切っている。問題の平面クロスは、最初は固定式のクロッシングではなく、あらかじめ板にレールを固定した物を用意しておき、馬車が通る時だけそれを踏切の上に敷いたそうである。この踏切かなり斜めに過っているので、細いタイヤの自転車で渡る時は、ハマらない様に要注意である。 |
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■青梅森下駅跡
青梅駅前を過ぎ青梅の街を出外れると、街道は鳥居の前を右にゆるくクランクしている。鳥居の左手は都バスの青梅車庫だ。その手前に酒屋があるが、この位置に森下の終点があったと言う。 |
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■酒屋さん
問題の酒屋さんである。そしてその左手には... |
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■看板
おォ!なかなか鉄な看板だ。そしてその足元の石碑をよく見ると... 此処に駅有りき と、書いてある。実はこの酒店は、中武馬車鉄道の設立人の子孫の方が営んでおり、先人の偉業を後世に伝えるためにと、これを建立したのだそうだ。ここは奥多摩湖方面へ行く時など、かなり頻繁に通過していたのであるが... この石碑には気がつかなかった。ふ、不覚だ。(^^;) なお、この勝沼から森下の区間はその後、青梅鉄道との交差部が危険だという事ですぐに廃止されてしまった。また中武馬車鉄道自体も、日露戦争の軍馬徴用により運行出来なくなり、廃止に追い込まれたとの事である。 |
参考:「吹上村のあゆみ」塩野琴治 著