第三部 丸子町〜大屋


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丸子町駅跡
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いまだ駅前通り

とりあえずお昼を確保したところで、先に丸子町〜上丸子の区間をやっつけてしまおう。丸子町の駅跡はテキストの通り、大きなスーパーになっている。バス停、郵便局、タクシー会社、全て古き良き時代の駅前の雰囲気を醸し出している。通りの名も「駅前通り」。
 しかしやたら暑いな。ちょっくらスーパーにお邪魔して、束の間汗のひくのを待つ。だが外に出た途端、それは全くの逆効果である事に気付く。なんかもう、人間耐久試験をやってるようだ。あまりの暑さにボ〜っとして、バス転回場にあったはずの古レールを見逃して来てしまった。




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丸子町〜上丸子間
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丸子町〜上丸子間

そういえばこの駅、昔は路線バスが直接ホーム上に乗り入れていたらしい。省営の小さなボンネットバスが、ここから和田峠を越えて諏訪地方へと行路を結んでいたという。駅前... じゃない、スーパー前で現代のバスを待つ人々を横目に、大屋へと向かって下りだす。
 丸子町から上丸子にかけては、小学校裏手の石垣の下を徐々に掘り下げながら下って行く。その先には築堤状になった道路も残っており、思わず自転車を降りて下を覗きこむ。通り過ぎて行く地元の人に怪訝な目で見られるのも、いつもながらの事だ。




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トイレ@中丸子駅跡

中丸子駅手前で一旦ルートを外れ、依田川に出てお昼にする。時間がちょうど13時をまわり、一旦家に帰って昼食をとっていたのか、三々五々集まって来た作業服のままの工員が、近くの工場へと入っていった。
 依田川土手の木陰でお握りをほおばりつつ、ぼんやりと景色を眺める。対岸は結構な断崖で、その中腹に何やらお堂の様なものが見える。地図には「御岳堂」となっており、それなりの歴史を持ったもののようだ。
 さて午後いちのスポットは、中丸子駅のトイレ跡。これは道ばたにさりげなく残っており、危うく通り過ぎてしまう所だった。向かいにある民家も、一部が駅の待合室の建物だというが、どこがその部分なのか、私には良くわからなかった。




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鐘紡工場への分岐付近
(写真奥が丸子方面)
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下って行くと交差点

次の下丸子駅は後年、信濃丸子,丸子鐘紡と名前が変わっており、鐘紡工場への最寄り駅だった。ここから工場までの間を結ぶ引込み線も分岐していたらしい。
 現在その部分は道路となっているが、本線跡と路盤が別れて行くあたりは、心成しか道の脇の土盛りがふくらんでいるようにも感じた。引込線跡の道路を少し工場の方へと辿ってみたが、何の変哲もない交差点を過ぎて道はさらに川の方へと延びていた。




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新幹線とクロス

道は時々思い出したように左右に身じろぎを繰り返しながら、大屋へと向かって緩く下って行く。大してペダルを踏み込まずに進むので、走る上ではこの上なく快適だ(暑さを除けば)。
 そのうち、前方上空に太い灰色の帯が見えて来た。長野新幹線がトンネルからトンネルへと、一瞬この谷あいに姿を現わす部分の高架だ。しばらく通過を待ち伏せてみたが、シンとして何もやって来る気配がないので諦めて先へ進む。




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有名な大屋鉄橋
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大屋駅

やがて線路跡は県道を横切り、多少心細い道幅になったなと思ったらもう目の前は千曲川だった。ここにも有名な丸子鉄道の遺構、小さなトラスの鉄橋が残っている。交互通行にせざるを得ないその幅もさる事ながら、頭上を遮る鉄骨(後から付けられた様だが)も乗用車の高さすれすれ、自転車に乗っていると思わず首をすくめたくなってしまう位だ。
 この橋を渡って右手に進むと程なく大屋駅。今はJRでなく、しなの鉄道の駅だ。この信越本線時代そのままの長いホームの傍らから、小さな丸子線の電車は発車して行ったのだろうか。




 ここ大屋駅までで暑さに気力も失せ、既に東上田までの残り区間をトレースする元気は残っていなかった。今回は元々廃線目当てではなかった(はず)なのでそれほど悔いはないが、また機会があればこのあたりは真田傍陽線などと共に訪れてみたい。

 大屋から輪行し、新幹線への乗り継ぎのため下車した軽井沢の駅がやけに涼しくて、なんかちょっと損したような気がしたが、でもまんじゅうを買った売店のおばさんがとても親切で、自転車の話に花が咲いたりして、そんなこんなでちょっと嬉しい旅の終わりなのだった。(おわり)
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参考資料: 関連リンク:
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