飯田線の思い出


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Posted by 杵島 太郎 on November 08, 1998 at 21:20:57:

列車を介在した旅はなぜにこうまで克明に脳裏に記憶に残るものでしょうか。このページを読むうちにむかし使ったローカル線に再び乗り込んだ気持にしてくれます。
そのひとつに飯田線があります。私はちょうどその時松本から豊橋に抜ける旅をしていました。飯田線はチベット高原を走る列車のようなもので山また山でほんの息抜き程度に民家が顔を出す
というような具合でした。
たしか昭和40年代の後半だったろうと思います。あの軽井沢の浅間山荘事件があった日です。活動家達に人質になった女性がたしか牟田泰子さんとかいう方でこの人のため一日がかりの救出作戦が展開された日です。
たまたまこの日に(私の誕生日でしたから2月28日である事は確かです)飯田線に乗り込んだ私は同行の友と携帯ラジオに釘付けになっておりました。この日はこの救出作戦の実況放送をしておりました。でも流石に飯田線です。ラジオが電波をキャッチできない地形もかなり多くツギハギだらけの実況放送を聞かされました。周囲のお客もだんだん我々の方に近づきしまいには車掌まで「いま、どうなってますか」と顔を出す始末でした。
あとで判った事ですが、この実況放送はもちろん最高の視聴率であったそうで目的地の豊橋に着いてもアナウンサーは声を嗄らしながら頑張り続けておりました。



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