Re: はじめまして、仲間に入れてください


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Posted by 西嵜 浩二 on May 13, 1998 at 02:38:24:

In Reply to: Re: はじめまして、仲間に入れてください posted by H.Kuma on May 12, 1998 at 22:19:16:


: 関西方面の方、どなたかレポートしてくれないかなぁ。

こんにちは、西嵜です。
元ほぼ地元の阪神電鉄武庫川線ネタですね。(この阪神電鉄武庫川線、地元では結構有名です。新聞ネタにも何回となくなっていました。)
まず、阪神電鉄武庫川線についてすこし・・・。(せいさんの書いてあることと、私の知っていることがちょっと違うもので・・・。)
以前某MLでも流した内容ですので、読まれた方もいるかも知れませんが・・・。

阪神電鉄武庫川線は、戦時中洲先の先にあった川西航空機の工場の資材と労働者輸送のために作られた線です。(戦争の落とし子ですね。)
労働者輸送のため武庫大橋(当時国道2号線の武庫大橋には阪神電鉄国道線の停留所がありここでも連絡していいました。)から洲先までは標準軌が敷かれ、阪神電鉄が担当していました。
また資材輸送のため東海道本線の甲子園口あたりから分岐し洲先の先の工場の引込線まで狭軌の線路が敷かれ、国鉄(当時は国鉄ではなく鉄道省かな?)が担当していました。(当時C12が貨物を引いて走っていたそうです。)
このため、H.Kumaさんも書かれていますが、武庫大橋−洲先間は3本レ−ル(3線軌条)があったわけですね。

終戦後しばらくは、川西航空機の工場跡地を武庫川車両の工場が使用していたため、武庫大橋から洲先の先の工場の引込線までは使用されていましたが、武庫川車両の工場が移転した後は、武庫川−洲先になりました。
その後、廃止が一時期叫ばれたことがありましたが、川西航空機の工場跡地に武庫川団地ができ、洲先−武庫川団地前間の延長を行い、住民の足として活用されることになり廃止をまぬがれました。

私が知っている阪神電鉄武庫川線は、武庫川−洲先の時代(もちろん単線)で両運転台の車両(この車両が阪神で最後まで残った非冷房車だったと思います。)が単行で行ったり来たりしていました。(今は、単行の1列車往復から2両の2列車運用となり、東鳴尾に交換設備ができているそうです。)
非常にのんびりした線でした。

廃線跡(武庫川駅から北側)ですが、今から20年くらい前は、畑と化した道床に線路・枕木はもちろんのこと、武庫大橋駅のホ−ム(対面式の交換駅の様子がよく残っていました。)も残っていました。
武庫大橋より北側については、当時どうなっていたか私は記憶がありませんが、他の方の情報によると、国鉄甲子園口駅までも線路が残っていたそうです。国道の下をくぐったところから北側は1067mmゲージで、甲子園口駅の手前で大きくカーブして駅の南側改札の上につながっていたとのことです。

廃線跡の現状ですが、その方の情報によると、武庫川駅のすぐ北側は本線につながる線路(私が見た頃からありました。)があり、そのさきに当時のレールが数10mほど残っている所があるそうです。ただ、錆付いてほとんど土に埋もれ、2車線道路をくぐると線路は途切れ、マンションの駐車場となっていますが複線分の細長い用地なので線路跡であることが分かるみたいです。その北側は建物が建てられており線路跡は途切れているそうですが、ここから北側もまだ細長い空き地が連続しているみたいです。ただ、レールは残っておらず、柵にかこまれてしまい立ち入り禁止になっているそうです。私が見た時存在していた武庫大橋駅のホームは、もうないそうです。国道をくぐるところも埋められており、その先は、一目でそれと分かる空き地が続いているみたいです。甲子園口の手前のカーブは植木栽培のビニールハウスが建てられていますが、用地の形から判別でき、今でもJRの車窓からもなんとなく判別できるそうです。

では。



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