Posted by 小原輝昭 on April 10, 1998 at 12:29:11:
In Reply to: ようやくつながった&渥美線 posted by 丸山@日暮里 on April 09, 1998 at 12:21:05:
小原輝@登山家です。
渥美線についても、反響が来るんですねぇ。嬉しい限りです。さて…
: 田原駅の黒川原方横っちょの
: 養鶏場なんてモノは,まだあるんでしょうか?
: すんごく**かった記憶が・・.
三河田原駅周辺は交通至便な地区であり、激変進む地域です。
それでも、田原駅周辺の廃線跡沿線に由緒ある「城宝寺」が残るのは喜ばしい限りです…
: 電化されてたんですか?>廃止区間
「渥美電気鉄道」が、後に廃止(休止)となる「三河田原〜黒川原」間を開業したのは、大正15年。ここで、当時の愛知県三河地区の鉄道事情を見てみます。
大正中期以降、三河でも電化路線敷設がトレンドとなっていました。そう、近代鉄道=電化路線、電車でなければ鉄道にあらず、との認識になっていました。
これは、同じ三河の「西尾鉄道」が早い段階(M44)で「蒸気・軽便」により開業してしまい、大正中期を過ぎると、時代の流れについていけなくなった例を、三河の皆が見ていたことにもよります。逆に、JR飯田線の前身である「豊川鉄道・鳳来寺鉄道」はすでに全線電化を完了しており、成功を収めていました(T14)。(なんと、この時既に1500V)
ということで、大正中期以降、三河に「新設」された路線で、非電化路線ってあったかな? 調べておきます。