Posted by ぼへみあん on September 10, 1997 at 04:20:11:
たまたまこのページにたどり着きました。私自身は鉄道ファンでも旅行を趣味とする者ではないのですが、内容がかなり興味深かったので訪問記念がてら投稿させていただきます。
私の身の回りの廃線について。といっても2つだけですが。
一つは、東武熊谷線。地元の人間は妻沼線と呼んでいました。私も正式名称は廃線になってから知りました。
この線はその名の通り熊谷−妻沼を結ぶ鉄道で(熊谷−上熊谷−大幡−妻沼)、一両編成のクリーム色のディーゼル車が走ってました。そのバスのような形とのろのろ一生懸命走っているところから”バス列車”として市民から親しまれており、また「ノロい」ものの代名詞として妻沼線という言葉が使われていました。
さらにこの線は東武という一流会社の鉄道でありながら、継子のような扱いをされていて、特に新幹線開業で熊谷駅が改築された後はホームも秩父線のホームの片隅を使わせてもらっており、切符も秩父線の窓口で買うようになっていました。といっても、この鉄道を使うのは通学客がほとんどで日中はほとんど客がいませんでしたから、このような仕打ちもやむを得なかったんでしょうが...。 この線は1983年に廃止になり、そのときには他の廃線と同様記念乗車客でごった返し、2両編成でどことなく得意気に走っていたのを覚えています。私もこのときに初めて乗りました。といっても熊谷から上熊谷までですが。記念に切符も買っておいたんですが、どこかいってしまいました。
廃線寸前の頃小学生だった私は、鉄道マニアの友達と一緒に自転車で妻沼線沿線巡りをしたことがあります。熊谷を出てから上熊谷までは秩父鉄道や高崎線と併走し、上熊谷を過ぎると秩父線に別れを告げ高崎線や国道17号線の上を通るために土盛りの坂を上って行きます。この土盛りの高架は年季の入ったれんがで覆われてる所もあり「結構いい味出してるじゃん!」と思ったことを覚えています。その名残は高崎線の車窓からも見ることができます。
市街をはずれると、一面に広がる田園の中を単線の線路が直線的にのびており、荒涼とした田園風景をバックにのんびり走るクリーム色のバス列車を、友人はしきりにカメラに収めていました。
私がこのとき一番印象に残ったのは17号線熊谷バイパス高架の下にあった大幡駅です。薄汚れたコンクリートのホームと木製のベンチ、そして小屋と言った方がいいような、ただ雨風を避けるためだけの落書きだらけの駅舎といった風景を見ると子供ながらにたまらなく寂しい気分になったりしたものです。
妻沼線の廃線後は、代替の急行バスが走るようになり、跡地からは線路がはずされ妻沼側の一部はバス専用道として利用されているようです。熊谷側では盛り土も崩され空き地になっています。用水路にかかっていたれんが作りの橋の後が今でも高崎線の車窓から見ることができますし、市内の至る所に残っています。比較的遺構の多い廃線だと思います。
またこの線は、軍需のために熊谷と太田を結ぶために計画された路線で、建設途中で戦争が終わっったため妻沼までの路線になったと聞いています。利根川を渡るため途中まで建設されたコンクリートの橋脚が、つい最近まで残っていたようですが、 治水の関係上取り壊されたそうです。かけらぐらいなら残っているかもしれませんね(~}~)。
次に日本鋼管熊谷工場の引き込み線跡について。この線は高崎線の篭原−深谷間から分岐して日本鋼管の熊谷工場まで結んでいたそうです。私が物心ついた頃からこの路線は使われていなっかったようで、列車が走っているのを見たことがありませんでした。ただつい最近まで県道深谷東松山線のちょうど熊谷−深谷市境の所に踏切があったので(しかも最近まで一旦停止していた)、廃線だと分かりました。今では線路もはずされ踏切もアスファルトで埋められたのですが、空き地として残っているのですぐ分かると思います。かなりマイナーな廃線だと思うのでマニアの方にはお薦めです。
以上長くなってしまいましたが、私の家の近くの廃線について書いてみました。
それにしてもいかにもインターネットらしいカルトなサイトですね!!
おかげでまた少しだけ物知りになれました。
自転車での取材大変でしょうけど、がんばって下さい!!
このサイトの益々の御発展をお祈りしております。