〜 萩山駅の分割併結 〜

今回は、萩山駅での「拝島.多摩湖」の分割/併結シ−ンの 思い出を語りたいと思います。 多摩湖駅はご存じの通り、1979年に西武遊園地駅と名称が変わりました。 わたしが西武の車両達に本格的に興味を持ったのが 前回の多摩湖線とほぼ同時期の昭和48年頃で 記憶もその頃からのものが多いです。 あいまいな部分もありますがどうかご容赦下さい。

当時はまだ旧101系もデビュ−して4年程。 101系は秩父線用の車両ですが 新宿線にも配置されていました。ですがまだ4連での 運行や後に6連もいましたが新101系2連がデビュ−する だいぶ前でしたので本線運用または国分寺線に 充当されるくらいで確か、拝島線/多摩湖線には まだ入ってきてはいませんでした。 まさに萩山駅は 赤電 王国でした。

Photo
分割後の1411と後ろに411系 右に371系

Photo
クハ1411

さて、現在の「拝島/西武遊園地」運用は分割/併結共に 平日の朝のみ行われていて車両は2000系6+4の10連。 しかし当時は定期運用として平日も休日もほぼ終日運転され 萩山では下りの分割、上りの併結シ−ンが日常の光景として 毎日行われていました。 下りは西武新宿からの直通で基本4+2の6連ないしは 2+2の4連の普通運用が多かったです。 拝島行きは4連が多く701系列のカルダン車が主力。 多摩湖行きは必然的に2連で当時の2連は451系列/411系でしたから 100%釣り掛け車。確実に釣り掛け車に乗りたければ「拝島/多摩湖」行きの 後ろ2連なら必ず釣り掛け車に乗れました。当然ですね。 これが2+2の4連なら共に釣り掛け車になります。 たまに2+2+2の釣り掛け6連も走っており分割すると2+2の4連が拝島、 2連が多摩湖という具合でした。

画像1枚目は分割を終えた拝島行きクハ1411+クモハ451の2連。 後ろの多摩湖行きは411系2連でした。ちょっと見づらいですが。 右はおなじみ371系です。まさに昼間の風景なのです。 画像の2枚目の拝島行きを表示した半鋼車クハ1411はなかなかの味わいです。

下り分割時は、わたしの記憶にあるのが701系4連と451系2連で、 いったん6連で萩山に到着するとドアを開けて乗降を行い、 その間に作業員の方々が701系と451系の間に行きます。 運転手/作業員/車掌が息を合わせて行う緊張の時ですね。 拝島行きはドアを開けたまま停止、多摩湖行きはいったんドア閉めを行い (勿論車掌のアナウンスが入ります)拝島行きに乗っていると 切り離されるとガクンッと軽い揺れを感じるくらいで、多摩湖行きは 切り離しと同時に少し後ろへバックしました。一瞬釣り掛けモ−タ−音がうなり 完全停止してから再度ドアを開けます。 その後、前にいる拝島行きが発車、その後に多摩湖行きが発車すると言う寸法でした。


では今度は上り、拝島と多摩湖からそれぞれ萩山に合流し併結して西武新宿へ 向かうのですがこれはまず先に萩山に多摩湖からの2連が到着してドアを開けて待っています。 その後ろに拝島からの4連ないしは2連がやってきてそのままゆっくりと作業員の指示で 連結作業を行います。やはり前の2連は連結時にガクンッと軽く揺れます。 連結完了後、拝島からの車両のドアが開いたと記憶しています。

ファンから見れば日常の中のイベントとして楽しめましたが利用者から見れば やはりタイム.ロスもありましたし 人手や携わっている方々の苦労や手間などもあったことと思います。

その後、昭和52年に2000系がデビュ−後ほどなくして「拝島」行きが設定され 「多摩湖」から名前を変えた「西武遊園地」行きは小平の折り返し運転となっていく訳です。 萩山に入線する車両も赤電から黄色い701系列や101系と401系.新501系 そして2000系列と変貌していったのですね。

Photo
クモハ374

さて、3枚目の画像は、併結後に西武新宿行きとして小平へ向かうクモハ451系の車内から 今は無き萩山の留置線に止まって「昼寝」しているクモハ374を写した物で、 多摩湖線の時にお話ししたプレスドアタイプです。ちなみにこの留置線は2本あったはずで ちょうど新宿線と国分寺方多摩湖線の間に存在していました。

車両や運用は変わっても伝統的な分割/併結シ−ン。後世にも伝わるといいですね。




ButtonBack