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村山の軌道跡は自転車道としての整備がはじまろうとしていた1979年3月のものです。現在立ち入りできない水道用地内の軌道敷き跡のものも一緒にお送りしたいと思います。

なお、村山の一連の軌道について、最近「軽便鉄道」とする表記が一般的ですが、軽便鉄道法、地方鉄道法等によらないこの路線は(後世の誤解を防ぐためにも)単に「軌道」とされた方が良いのではないか、というのが私の個人的見解です。
蛇足ながらここの「横田ヤード」のすぐ近所が私の母の実家で、この軌道敷きは私の子供時代からの良い遊び場でした。廃止後もレールなどがこのヤードに集積されていたとのことですが、朝鮮戦争の特需のときに一夜にしてなくなってしまったそうです。それでも探せば近在の家の垣根にレールが使われていたりします。
探索を行なった際、祖父や近所のお爺さんにたずねたところ、近在の青年はみなこの軌道で働いて建設に協力したとのことでした。これは水道局の資料からも確認できました。

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3. 赤坂トンネル入り口
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4. 赤坂トンネル(反対側ポータル)

写真ですが、3.は赤坂トンネル入り口です。この写真を撮影した位置で線路は急カーブで写真左の方向に90度まがり、さらに50メートルほどで再び左に直角に曲がって横田方面へのトンネルに向かいます。
4.は赤坂トンネル反対側のポータルです。ここから先は軌道敷きは雑木林の中をしばらく進みます。
5.は場所が不明確で申し訳ないんですが、小川にかかる橋台です。この軌道のこれらの構造物はすべてしっかりしたコンクリート造りで、この工事が官営の重要な土木事業であったことがうかがえます。
6.は現在立ち入れない都水道局水源涵養林内の軌道跡に埋もれている枕木です。場所は旧ユネスコ村側からT字路下の最初のトンネルをくぐった先1キロ付近です。写真では見難いですが、犬釘が刺さったままでした。つまりきちんと抜かないでレールだけ剥がしていったようです。このころも一応立ち入り禁止だったのですが、冬場は付近の農家が落ち葉取りに入るのでゲートが開けられ、それに便乗して入ってしまったわけです。(^^;) そういう環境ですから、軌道跡も明瞭に延々と続いていました。

5. 小川にかかる橋台
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6. 軌道跡の枕木
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この軌道は戦前、山口貯水池の堰堤が完成した段階でいったん廃止になったのですが、戦時中、爆撃から堰堤の破壊を防ぐため補強工事が行なわれた際に再び活用されたとのことです。高射砲陣地もあったとのことですので、堰堤付近の怪しげな構造物はその遺構と思われます。この一帯は立川基地と同時によく夜間空襲や艦載機の機銃掃射の標的になったそうで、母の実家も穴だらけになったということです。

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