Photo-197X(エックス) 

 国分寺の渋谷さん から、お便りと大変貴重な写真をご提供頂きました。1970年代の、下河原,村山貯水池,二俣尾近辺 の写真です。特に二俣尾のスキップは、TMSで見た写真の実体験だけあって、私は非常な興奮をおぼえました。以下渋谷さんの思い出と共に、ご紹介したいと思います。


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1. 車内風景

はじめまして。国分寺市に在住する渋谷と申します。 桜谷軽便鉄道さんのHP経由で到着しました。

廃線跡のレポート大変興味深く拝見しました。 特に下河原線など地元付近のものは自分でも廃止後歩いていないもので、懐かしくなりました。 私が子ども時代(私は1955年生まれです)北府中からは四方八方(?)に線路が分かれていて、とても興味をもったものです。

東芝府中工場からは最新鋭の交流電機が搬出されていくのを見たことがあります。 また逆に東芝製のEB10が下河原線経由で搬入されていきました。現在も保存されているはずです。 北府中から南東方へ分岐していた線路は現在も道路として利用されているので、そこを通ると府中街道脇に腕木信号機がポツンと立っていたのをありありと思い出します。

下河原線ではたしか東京オリンピックあたりまで八王子の8620が貨物を牽いてましたね。 現在国分寺丸井の搬入口のあるあたりに、乗務員休憩所があっていつもハチロクが一台停まっていました。 下河原線は国分寺にむかって25パーミルの急勾配が続いていたため、煙がひどく、沿線の家では貨物の時間になると洗濯物をしまった、と線路端に住んでいた中学の同級生が言っていました。

 (当時の写真をお持ちとの事で、その後私からお願いして送って頂きました。) 

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2. お別れ運転

とりあえず下河原線のクモハ40です。 1.は1971年か72年夏の車内風景です。競馬の無い日はごらんのように閑散として、車掌も 座席に座っているなど実にのんびりしていました。

2.は最後の日のお別れ運転です。場所は東京競馬場前駅です。 下河原線は競馬開催日には101系5連で対応していたのですが、72年突如73系5連に 変更され、私たちを驚かせました。 これはこの年の房総電化で関西から大量に回ってきた73系のうちのひとつのよう でした。大阪の車内づりポスターがそのままかかっていて笑わせてくれました。

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