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第4章  宮崎交通バス 高千穂〜高森

高千穂駅外観 
 

 11時27分、高千穂着。高千穂鉄道の本社はここにあり、まだ真新しい検修庫などの中枢機能が置かれている。駅舎も、神社を模した屋根のデザインがしゃれている。国鉄時代なら、当然延岡が中心となるところだが、高千穂という「地元」に一家を構えて意気が上がっているようにも見える。
 これからバスで阿蘇の外輪山を越えるのだが、駅は町の中心部からやや北にはずれており、バスターミナルまでは徒歩10分足らずの距離がある。この間に連絡バスが運転されており、慌ただしく乗り込む。昨夜からひたすら乗り続け、やっと九州の奥深く分け入ったのだから少しはゆっくりしたい所だが、高森行きの発車は12時ちょうどで、またゆっくり食事をする暇はない。

 実は、これから通る高千穂〜高森の区間にも、鉄道を敷設する計画があった。いや、計画だけではなく、実際に一部工事に着手された部分もある。しかし開通を見ずに工事は中断され、手を結べないまま盲腸線として取り残された高千穂線、高森線は、それぞれ高千穂鉄道、南阿蘇鉄道として第3セクターに姿を変えて生き残りを図り、今日を迎えている。
高千穂駅構内 
 
 連絡バスは発車するとすぐ大きく向きを変えて南下し、高架で高千穂鉄道をまたぐ。眼下には高千穂駅と、それに続く引込線や検修庫が見えている。本来ならば、さらにその向こうの山間を目指して、線路が伸びていったはずである。高森までの道すがら、建設工事の名残を探してみようと思う。

 ところで高千穂は、九州はもちろんのこと、日本でも指折りの観光地として名前はよく知られているけれど、実際に訪れて眺めてみると、予想外に賑やかなところなので驚いた。もちろん都会の雑踏とはほど遠い、のどかな場所ではあるのだが、それでも高千穂町役場、警察署、検察庁、高校、町立病院、県庁西臼杵支庁といった官公庁をはじめ、電器量販店や銀行から弁当屋に至るまであらゆる業種が商店街をなしている。山奥の田舎町というイメージでやってくると意表を突かれる。
 もちろんその基盤は観光にかなりのウエートが置かれているはずで、列車内でもらったパンフレットには48軒もの旅館・ホテルが名を連ねている。見どころの中心が、高千穂峡や高千穂神社、天岩戸等々であるのだが、これらをコースに組み込んだ定期観光バスが、オフシーズンを除いて1日4本も運転されている。
 交通手段にしても、福岡や大阪から長距離バスがやってくるようになった。高千穂鉄道も、ほぼ1時間毎に運転され、女性運転士が活躍する快速を走らせるなど健闘しており、バスでズバリと乗り込んでくるのは惜しい気がする。
 これから乗る路線バスもそうした交通網のひとつで、高森までの所要は約1時間20分、ほぼ1時間ごとに運転されている。

バスターミナル風景 
 

 バスターミナルは定期観光を含む各方面へのバスが発着しており活気がある。乗場を確認して窓口で切符を買う。運賃は1,240円であった。乗り込んで発車を待つ間、今朝延岡駅前で買っておいたおにぎりとウーロン茶で昼食。だいたい旅行中は、ひたすら効率のよい乗り継ぎに主眼が置かれるから、朝昼とも駅の立ち食いソバで済ませることもザラである。しかし、麺類好きだからそれでも耐えられるのであって、さすがにおにぎりだけというのは味気ない。今晩は熊本で何か旨いものを食べたい。

 正午ちょうどに発車したバスは、商店街を抜けて国道325号線を北へ進む。決められたレールの上を走る鉄道と違って、バスはどの道をどう走るのか見当がつきにくいので、今回は国土地理院5万分の1地形図を用意してきた。延岡から高森までをカバーするため、「延岡」「三田井」「高森」の3葉をつなぎあわせてある。このうち「延岡」図幅だけが平成元年修正と版が新しく、他は古い。そのため「三田井」図幅との継ぎ目のところで、高千穂鉄道を表す線路記号がJRのものと私鉄のとに食い違っていておもしろい。道中、停留所の名前と地図を突き合わせながら、現在位置を確認する。

 発車して1kmほど進んだところで、進行方向左手に建設の中断された橋脚を発見した。幻に終わった九州横断線の最初の遺構である。そこはちょうど高千穂駅の西方500mほどの地点で、駅を発車した列車がさらに直進し、国道をオーバークロスする地点にあたる。何かあるとすればまずこのあたりだろうと目星をつけていたので、発見するのは比較的簡単だったが、バスはあっという間に通り過ぎてしまうので、写真は撮れなかった。
 国道が国道らしかったのも初めのうちだけで、15分もすると谷あいの登り一方になった。ここで2番目の遺構を発見。左手を流れる五ヶ瀬川の支流を渡ろうとして、橋脚が建てられており、部分的にだが橋桁も取り付けられている。対岸へ渡ってトンネルで尾根を抜けようという構えだ。
 探索は順調なように見えるが、このあたりまでは、地形的に、鉄道を通すとすればこのルートしかあるまい、と察しのつく区間である。この先、地勢はますます険しく複雑になる一方で、高低差も相当なものになる。長大トンネルの連続でなければ、とてもよじ登れそうにもなく、そうなると、どこをどう掘り抜いて行くのかわかったものではない。山道を行くバスの車窓から何かを見つけるのは困難だと思われ、実際それ以上のことは何もわからなかった。もともとその先は工事が始まっていなかったのかも知れない。

 杉林の中を山ひだに沿って抜けると、高原状の開けたところに出た。小淵沢から小海線を走った時に、甲斐大泉あたりを過ぎて勾配がゆるやかになり、突然のどかな高原が開けて清里から野辺山に至る、あの感じに似ている。周囲はとうもろこしやナス畑である。
 12時半を過ぎた頃、県境を通過した。「高森町」と書かれた標識を見た途端、いよいよ阿蘇に来たか、と懐かしさを覚える。私は阿蘇の雄大な景観が好きで、高校の修学旅行以来、正月休み等を利用して何度か来ている。ただし、いつも立野のスイッチバックをお目当てに熊本を経由しての旅だったので、宮崎側から外輪山を越えるのは今回が初めてだ。心なしか車内の空気が変わったような気がする。深い森に被われた宮崎の緑のイメージと、阿蘇の溶岩の赤茶けたイメージとの差かも知れない。

 再び曲がりくねった山道を登り続けるうちに、2本の支流に挟まれた尾根の鞍部に出た。一体は「永野原」と呼ばれ、それまでのつづら折れの連続が嘘のように、平坦な道をほぼまっすぐに走る。地図をみても、そのあたりだけが等高線の密度が薄いので、印刷が白っぽく見えて特異な感じがする。
 一体の海抜は600m前後で、高千穂から250mほど登ったことになる。窓からの風はひんやりとしており、台風の余波で蒸し暑かった延岡とは全く違う。まだ9月も半ばだというのに、もうススキが穂を出している。
 放牧の牛の姿も見えるのどかな台地を走るうちに、やがて地図にもまだ載っていないバイパスに入り、いきなり高い橋を渡る。たもとの欄干には「奥阿蘇大橋」と書かれている。なだらかな台地に深い爪痕を刻んでいるのは「川走川」で、まるで四角いカステラを真二つにちぎったようだ。突然こうした深い谷が現れるのは、さすがに世界最大のカルデラを持つ阿蘇の力だろう。

 県境は越えたが、まだ登りは続いている。すでに海抜は700mを越え、バスは雲の中に突っ込んだ。空気も、道も、冷たくしっとりと濡れた様になっている。窓外はどちらを向いても真っ白なのだが、それが霧のせいなのか、それとも窓ガラスが曇っているのかさえはっきりわからなくなる。黙々と走り続けるバスに身をゆだねるうちに、次第に時が止まったような気がしてきた。「高森8km」と書かれた標識が霧の中から現れた。

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