西武是政線の支線跡?

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 25000図で武蔵野競技場線跡をぼんやりと見ていた時、はるか昔(20年以上)に父親にもらった25000図の「吉祥寺」があったことを思い出しました。探し出して見てみると色褪せた昭和34年発行になるその地図には、三鷹からの武蔵野競技場線と武蔵境からの浄水場線がしっかりと記載されておりました(あたりまえですが^_^;)。
 そしてふと武蔵境から出ている西武是政線(当時)を辿ると、新小金井駅の先から左に分岐している鉄道が記載されているのを発見しました。これは行ってみるしかない、ということで5月連休に現地調査に行ってみました。

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写真1. 新小金井駅付近から南西(連雀通り)方向

 分岐しているのは新小金井駅の先、連雀通りの踏切の先かららしいので、まずは新小金井駅へ。

 単線の西武多摩川線は新小金井駅では上下線に分かれていますが、下り線が連雀通りの踏み切り(写真1.右奥)付近で本線に合流する手前から左に分岐しているもう一本の線路がありました。写真の一番上の線路がそれです。


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写真2. 連雀通りの踏み切り





 連雀通りの踏み切りでは、車で通過するときは複線のように見えるが、西側の線路が本線で東側の側線は使われていないらしく錆びている。そして、踏み切りから30mほどで車止め(写真2.中央)があり、線路は終わっている。踏み切りから僅かの距離しかないので、引込み線として使われていたとは思えない。かなり怪しい。


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写真3. 車止め


 車止め(写真3.)の先にも路盤跡らしきものが続いているようでした。支線が本線から離れていたと思われるあたりは全く痕跡がありません。

 が、すぐ先で線路に沿った道路がY字に分かれる左側(東)の歩道状のものが、始めは(写真4.手前)全くないのに徐々に広くなっていくところがあります(自転車の置いてある部分)。その先で民家の壁に突き当たってしまいますが、ここから左へカーブして行ったのではないかと思われます。んー、こじつけに近いものが(~_~;)


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写真4. 怪しいような怪しくないような歩道





 25000図によればこの先は大きく東に向かい、ICUの北側と現在の住宅地との間付近を東西に敷設されていたようです。僅か全長1kmほどと思われる路線を2時間ほどかけて徘徊しましたが、現在ではほとんど住宅地と化しているので全く痕跡を確認することができませんでした。
 当時、付近にあるもので目立つのは三鷹屠場だけですが、300m以上は離れているので、その引込み線とは考えられないし、終点部分には何もなく、突然終わっている感じです。何の目的で造られた線か想像すらできません。
 地図に記載されただけの計画線で実際には存在しなかったとは思えませんが。

2.5万図 【吉祥寺】武蔵境付近 (昭和34年発行)
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国土地理院発行2万5千分の1地形図より

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