KIXローカルさん からのメール 1997/01-06 
  1. 和歌山線の廃トンネル
  2. 南紀の旅
  3. 北海道&青森
  4. 雑誌「旅」
  5. 出張
  6. 廃線の人
  7. 日帰りTDLの顛末

和歌山線の廃トンネル
現地踏査の「足」をどうするか、という問題にあらためて行き当たっておりまして、 車に自転車を積んで行こうか、でもうちには「ママチャリ」しかないし、 などなど・・・ といいつつ、あたらしいスポットを発見! 実は、昨日(5日)、休みの最後くらいは何かしたいな、と思って、 近鉄阿倍野橋から特急で吉野口へ行き、JR和歌山線に乗り換えて和歌山回りで 戻ってくる、というミニトリップをしたのですが、「隅田」駅の東方すぐのところで、 付け替えで廃棄されたトンネルを発見しました。 小さな尾根をトンネルで抜けていた部分を廃止して、尾根つたいに切り通しで 回る、という風に、延長1キロ足らずの区間が、路線変更されていました。 普通なら、その逆のパターンで、トンネルによって短絡させるやり方が多いと おもうのですが。 ポータルのレンガ積みも美しい、口径の小さなトンネルで、車窓から眺めただけですが、 前後の道床跡もきれいに残っており、一度ゆっくり付近を歩いてみたいと思わせました。 そのトンネルですが、わざわざ隣に新しいトンネルを掘るほどの大きな尾根でもない ので、若干の遠回りを承知で、新線をつけたのだと思われます。 ちなみに和歌山線というのは、今でも単線で、データイムは1時間に1本しか 列車がなく、ローカルのみで優等列車も走らず、行き違いのために10分停車とかは ザラです。車両も、形式はわすれましたが、ワンマン化された国電型(車体や内装は 103系にそっくりですが、サスが旧型ののせかえのためか、線路保守のグレードが 低いためか、ごつごつと結構な乗り心地です)
南紀の旅
関東からだと、結構遠いですよね、南紀方面は。 関西からだと、いわゆる「紀勢西線」側はまあまあなじみがあっても、 「東線」側は、なかなか足が伸ばせないものです。 それだけに、東からのアプローチのルポを読むと、 なつかしさもひとしおです。 出だしの「東海」ですが、これがまたなつかしい。 私も、北海道へ行くのに、日本海回りでなく東京回りでいったことがあって、 その時のルートは、 大阪 → (こだま)→ 米原 → (特急しらさぎ) → 名古屋 → 浜松 →  静岡 → (東海) → 東京・上野 → (八甲田) → 青森 確かこんなでした。 (余談ですが八甲田が定期からはずれたのもちょっとショック) 思い切り手間をかけて北海道まで行ってやろう、ということで、細切れに乗りついで 東京まで出て、東京タワーのシルエットをかすかな夕陽の中に見たときは感動した ものです。まだ社会人2年目かそんなころだったですが。 (青森まで乗ったのは「八甲田」ではなく「十和田」だったかも) 余談ですが、その時東海では普通車グリーン席を奮発したのですが、 私の通路をはさんで2列くらい斜め前に、もじゃもじゃ頭のヤセ型の男性が 乗ってました。 あれは絶対、版画家の「池田満寿夫」だったに違いない、と今でも私は信じてます。 その人は、熱海で降りたんですが、ああいう芸術家なら、いかにも熱海に別荘か アトリエでもありそうだと、妙に納得したのでした。 熊野市の名前が出てきたのもなつかしいですね。 昔、紀勢線の924列車(愛称「はやたま」)に、天王寺から名古屋まで 一晩かかって乗りとおしたことがありました。 (その後亀山止まりとなり、今は列車番号も変わって、新大阪始発の新宮行き電車に なっていますが、まだ名古屋まで旧型客車をゴハチとDD51がリレーで引いていた、 相当な昔のことです) 夜があけてもえんえんと列車は走り、昼前くらいでしたか、熊野市で のんびりと交換待ちで停車していた、あのけだるいような、でも 長距離夜汽車の体験で興奮していた心持ちを、思い出しました。 少年時代の列車体験といえば、やはり紀勢線を抜きにできません。 実際に乗ったとかどうこういう以前に、今のように自分で自由に (実際には家庭を持つと「不自由」ですが。。。)旅行のできない 少年時代には、自宅近くを走る阪和線、そして紀勢線直通の 優等列車を眺めることが、旅と鉄道へのあこがれをふくらませてくれる 存在でした。 まず、キハ58系の今はなき急行「きのくに」。 少年にできる定期的な旅行といえば、夏休みに両親の実家へ里帰りすることですが、 実家は岡山県の津山なので、大阪駅から姫新線の急行「みまさか」で約3時間でした。 その時に乗る急行型DCイコール、「旅」そのものの象徴なのでした。 だから、同じキハの「きのくに」が走るのを見ると、もう乗りたくてしかたない のでした。 その頃は、ボンネット型のキハ81も特急「くろしお」として現役でした。 今、大阪の交通科学館にいくと、特急「はつかり」のヘッドマークをつけて 屋外展示されていますが、何度見てもなつかしいです。 やがてキハ82にバトンタッチしまして、キハ82とキハ58の顔を描き分けては 悦に入っていた鉄道少年でした。 当時のELは、EF58の他ED60、前面デッキスタイルのEF15など、 今にして思えばすごい顔ぶれでした。 ECの方も、往時の鶴見線さながらの戦前派もごろごろしていて、形式は忘れましたが モハ62?とかなんとかいうベンガラ色の木造車、湘南型半流線型スカ色の70系 などがツリカケモーターのものすごい音をたてて疾走してました。 車内のドア付近には、床から天井までつかまり棒が立っていたのですが、友人同士で、 「電車がボロいから、この棒がないと電車の天井が落ちるのだ」とまことしやかに 話をしたものです。 こういう古兵どもを、オヤジから借りたカメラ(なんとレンズが蛇腹式に飛び出して くるすごく古いやつ)で撮影したりしてました。シャッタースピードが1/60くらい でしか切れないので、何も考えなくても勝手に「流し取り」ができてしまうのでした。
北海道&青森
北海道、関東からですといろいろなルートが選択できてうらやましいですね。 ところで、私は常磐線というものが経験がなく、妙に気になっているのですが、 「スーパーひたち」みたいなすごい車両が走っている反面、車窓風景なんかは 沿線の土地柄、地味なんじゃないかなー、という先入感があるのですけど、 どんなもんでしょうか。(茨城県を差別するわけじゃないんですけど)   北海道は、仕事で去年の2月に行きましたが、「鉄」としては空港と札幌を往復した だけなので。旅行としてはもう5年くらいごぶさたです。 うちの家内は、こないだバイト先の旅行で行って、カニをたらふく食ったらしいです。 許せない!! でもって、移動はひたすらバスだったとのことで、もっと許せないー。 過程を楽しめるのが「鉄」の特権、まさにその通りですね。 楽しみ過ぎて、途中で見たもの乗ったもの、いちいち語りだしたら切りのない 思い入れが残ってしまいます。 去年の青森出張で、仕事がはやく引けたので、半日ゆっくりと旧桟橋かいわいを 見物しました。自分もかつて歩いた、ホームから桟橋への長い連絡橋が、途中で ぷっつりと切れているのは何度見ても寂しいですよね。何か、自分の過去まで 否定されてしまったような思いになります。 保存係留されている「八甲田丸」の船内も見物しましたが、たとえば梅小路なんかで 見る蒸機と違って、見た目は以前通り、外海へと開かれた水の上に浮かんでいるので、 ちゃんと生きているように見えます。(鉄骨で桟橋にがっちり留められているのを 見ると興ざめですが) しかし乗ってみると、あの腹の底に響くような機関の振動もなく、どうも生きている のか死んでいるのか、よくわからない部分があります。 寂しかったのは、昨年の暮れに北海道の仁山で起きた、列車の脱線転覆事故です。 確か初めて北海道に行ったときだと思うのですが、函館から乗ったDCが、交換待ちで 仁山信号場に止りました。車掌さんにお願いして、私と一緒にカメラに収まって いただきました。 それに、長野の度重なる土石流災害。6〜7年前に、「つるぎ」を糸魚川で降りて 乗り換えて平岩まで行き、バスで終点の蓮華温泉まで行き、白馬大池経由で栂池へ トレッキングしましたが、まさにその駅のかいわいが姫川の氾濫でごっそりやられ、 やはり自分が通った鉄路が濁流の上で宙に浮いているのをテレビで見たときは、 もう大ショックでした。 経過のいちいちに思い入れがあるだけに、こういうアクシデントがあった時は つらいものがあります。
雑誌「旅」
さてさて関西の鉄道は、いよいよJR東西線も開業し、ちょこちょこと ダイヤ改正もあって、なかなか元気です。 東西線によるバイパス効果で混雑の緩和が期待された大阪環状線ですが、 データ的なことはともかく、乗ってみるとたいして空いたような気も しません。 (通勤時のに乗ったわけではないですが、土曜の夕方なんかすごいです。  東西線との接続駅である「京橋」よりも、近鉄との連絡がある「鶴橋」での  出入りが多いようで) タイミングをあわせて、福知山線(愛称:宝塚線)も篠山口まで複線電化が 完成して供用を開始しましたし。 全国的にも、秋田新幹線が開業とかで、かなり変化の激しい時期になりました。 「ダイヤがこうかわる」みたいな特集が、雑誌「旅」の最新号に載っていた ので、880円投じて買いました。これにはもうひとつ理由があって、 宮脇俊三氏と北 杜夫氏の対談が載っていたからです。宮脇氏もお元気そうで なによりです。(最近あまり新刊を目にしていないので) 「旅」はまだじっくり読んでいませんが、立ち読みしたところによれば、 秋田新幹線のダイヤで興味深い事例があるそうです。 新幹線の標準軌区間と、在来線の狭軌区間が並走する区間があって、 いわゆる「3線式」ではなくそれぞれ独立して並走しているので、 新幹線が在来特急を走りながら追い越すことになるそうです。 時刻表の上では、あくまで同一の路線としてしか載っていないので、 前後の駅間の着発時刻を比べて見ると、一見「?!」ということがあるそうで。 (考えてみれば、在来線の複々線、もっとスケールの大きいところでは 東海道新幹線と東海道本線も、まあ同じ理屈なのではありますが。) あの操車場の跡の話とか。皆さん、ほんとご熱心ですよねえ。 新幹線の話があれこれ書かれていましたが、私も昨日、日帰りで名古屋へ 出張で、新幹線に乗ったばかりです。 朝8時前に新大阪に行ったら、デビューしたばかりの500系をおがむことが できました。こちらは上り、あちらは下り、とホームが離れていたんで、 ちらっと、ですけど。サイドから見ても、さすがに丸っこい車体 断面をしているのがよくわかりました。 こうなってくると、さすがに0系のクラシックさがむしろ貴重になってきますね。 名古屋からの帰りは、「ひかり」の自由席が混むので、「こだま」にしようかなあと 思いつつ、2号車あたりの乗車位置で並んでいたら、向いの番線に上りの「こだま」が 止りました。見れば、3号車は、従来型の、広い窓に、リクライニング「しない」 グレーの転換型シートで、オリジナルの0系の姿を留めていました。 思わず、しまった、2号車じゃなくて3号車に並べばよかった、と思いました。 (3号車は禁煙じゃないけど) 他の車両のシートは、オレンジ色のモケットに黒っぽいスジの入ったもので、私は あれがキライなのです。リクライニングが中途半端で、きゅうくつなので、人間工学的 にイマイチですから。 あの古いシートの方が、リクライニングしないとはいうものの、もともと背ズリの角度 がゆったりしているし、なによりなつかしいじゃありませんか。 修学旅行なんかで乗った時もあれだったし。そういう、思い出と結び付いてもいます しね。。 そもそも、我々の世代では(・・・と、話に巻き込むご迷惑をお許し下さい^^:)、 今となっては丸っこく感じるあの顔に愛着があって、子供のころ新幹線の絵を描くと いえばアレでしたし、あの顔をした新幹線こそが、あこがれの象徴だったですから。 ・・・といいつつ、こう力説するほど強いこだわりがあるかといえば、 実はそうでもなく、1本早く来た「ひかり」に空席があったので、あっさりそれに 乗って帰ってきてしまったのですけどね。。。
出張
> 先日、関西出張しまして三田へ行って参りました。三田と言えば、福知山旧 >線、それに有馬線... と廃線の宝庫ではありませんか。往復共に社内からキョ >ロキョロしていましたが、福知山旧線はチラリと見えたものの、有馬線はもう >跡形も無いようですね。 三田といえば、もう最近ではすっかり大阪の通勤圏内になってしまいました。 福知山線(どうもJRのいう「宝塚線」というのは風情がなくてなじめない)が すっかり便利になって、そのかわり黄色い103系とかが走るようになって、 何か味気なくなったような気がしています。 かつては福知山線は、手軽に旧型客車に乗れ、夜行鈍行も走っていた、ありがたい 路線でしたが。何しろ都心のどまんなかの大阪駅まで、「オハフ**」なんてのが 乗り入れていたのですから。 > 日帰りの強行軍でしたが、新幹線はどちらものぞみ型車両の「ひかり」で、 >初めて乗るのでとりあえず嬉しかった。(^^;) 話題の 500系 は残念ながら拝 >めずに終りましたが、普段東京で目にしない色々な電車を見る事が出来て良か >ったです。(って何しに出張しに行ったんだか) のぞみ型車両は、シートの座り心地とか室内の開放感とか、なかなかですよね。 私が東京へ行った時に、東京駅で「踊り子」なんかの実物を見ると、 やっぱり「わあ。」とか思いますよ。 でも、東京出張なんて、いつも大体行き先は固定化されているので、何回も いってると、あまり刺激がなくなってきますが。初めのうちは山手線に乗った だけで「おお。山手線だ。これが渋谷かー」って思ってましたが。 話は変わりますが、うちの家族から「TDLへ連れて行け」と突き上げをくらって いまして、日帰りで安く行ける方法を考えろ、ということになっております。 舞浜は、出張で何度も行ってる幕張の途中ですから、計画を立てる当方としては よく知ってる場所(でも降りたことはない)なんで、あまり張り合いはないのです が。それはともかく、京葉線に乗っていると、結構家族連れとかがいるので、 平日なのになんでこんなところへ遊びにこれるんだろう、といつも不思議なんです。 もし今度TDLへ行ったら、「へっへっ、いつもは出張の途中に眺めているだけ だけど、今日は舞浜で降りたぜ」とかいって、痛快だろうと思います。
廃線の人
最近通勤電車の中でひまつぶしに「旅」を読んでいるのですが、特に今号では 廃線跡の特集のようになっておりますね。 その企画の一つとして、各著名人に、好きな路線や好きな廃線跡などの ベスト3をあげてもらう、というコラムがあるのですが、そこで気のついた ことなど。(もうお読みになったかも) その1、回答者の一人に、あの「地図の楽しみ」の堀淳一氏の名前を     見つけました。     「この人、まだ生きてたんだ。」と素直に感動しました。(^^;) その2、かの種村直樹氏は、好きな廃線跡を挙げよ、との設問に対して、     「生きていてこその鉄道だ! ランク付けするような事柄ではない。」     とのコメント。さすが!とこれまた感動。 廃線巡りはなかなかできずにいますが、今度の土曜日には京葉線に乗ることに なっています。すなわち、 「結婚10周年記念にこじつけかみさんのうっ憤ばらしの東京ディズニーランド  日帰り強行軍大ツアー」が決行されることになっております。 日帰りでどこが大ツアーなんだといわれそうですが、なにぶん赤ん坊を含む 子ども3人連れでは予算的にも体力的にも泊りはしんどい、ということで。 幸い関西空港が近いので、羽田まで往復JALで行きます。 まあ私自身としては、TDLの中身はともかく、普段なら幕張メッセあたりまでの 出張の折りに、車内から眺めるだけのTDLに自分で行けるということ、 いつもは通過している舞浜で今度は降りられる、ということが魅力があります。 ざまあみろ、いつもは仕事だけど今日は休みだぜ、という解放感が味わえるで あろう、と期待しております。いつもなら退屈な京葉線も、今回は車窓の眺めが 違って見えるであろう、と。
日帰りTDLの顛末
そんなわけで、行って参りました。 何しろ台風がやってきたもんで、前日からインターネットでしょっちゅう 天気予報をチェックしてましたが、きわどいところで過ぎ去ってくれて、 土曜日は行楽日和となりました。(青梅も同じだったと思いますが) マークトウェイン号は乗らずに眺めていただけですが、あんな狭い水路を 走るんですから、レールがなけりゃ大変だ、と思いました。 ジャングルクルーズに乗りましたが、これもどうやら水面下にガイドレールが あって、航路を逸脱しないようになってたようです。ごつんごつん、という 感触がありましたから。 まあ「鉄」とは無関係な話ですが、それにしてもたいそうな賑わいでした。 子どもの学校を休ませて行ったんですが、同様の人が多かったとみえ、 子ども連れもいるわいるわ。いったいいつ行ったら空いてるんだ。。。 どれに乗っても40分待ちは当たり前、並んだ中での最長記録は 「ミッキーマウスの家」の1時間20分、最短記録はゴーカートの15分でした。 「ミッキー」の、あのすさまじい行列を一度体験してしまうと、他のところで 「ここから40分待ち」とか書いてあっても、「あ、大したことないやん」って 思えてきます。(免疫ができる) 収穫は、ミッキーマウスとピーターパンとウェンディのサイン、ミッキーとの ツーショット、などなど。 よく雑誌でテーマパークの特集なんかで書いてあることですが、ディズニーランドの 客にたいする「楽しませようとする態度」は徹底していて、感心しました。 一番人気の「ミッキーマウスの家」でも、「家」に入れるのは定員厳守の入れ替え制 で、その分回転が悪くて待たされますが、一度入るとゆっくり見られて、 ミッキーとの記念撮影もしっかりできるし、満足できます。 行列で待っている間も、ひょうきんな係のおにいさんが愛想よく声をかけて くれたり、退屈させないように映画がかかっていたり、大道芸人やバグパイプ吹きが 入れ替わり立ち代わりでやってきたり。係員も若いのにプロとしてよく接客態度が 教育されています。 そういうわけで、待たされる割には印象がいいので、「いい夢をみさせてもらった、 また来たいな」とリピーターになるようです。 長くなって恐縮ですが、往復の飛行機(機種は往復ともB777)では,いつも なら座らないような席でした。自分一人なら、前方の窓側、などと指定してしまい ますが、今回は家族連れということで、カウンターにおまかせでした。 結果、行きは左側の最後列(背後はトイレ)とその1列前。いずれも、胴体幅が すぼまっているので、通常3人がけのところが2人がけになっているところ。 (この時、関西から東京へ、乗務明けのデッドヘッドで戻る途中と思しき 国際線アテンダントの皆さんと遭遇。みんな化粧を落として、疲れたーって 顔して寝てました) また帰りは、右側後部非常口のところ、すなわちアテンダントのジャンプシートと 向かい合わせ。前方の見晴らしがよく、さえぎるものがないので、逆に体が ふわふわして落ち着きませんでした。 普段乗らない後部座席だったので、離陸時にお尻が沈みこむ感触がたまりません でした。いつもならぐわっと持ち上がるのに、すとーんとおちますから。 そういうわけで、日帰りでしんどかったですが、楽しんで参りました。
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