日向和田(宮ノ平)の謎(2) 1999/03

 前回の日向和田の謎から 3年近く経ってしまいましたが、再び宮ノ平駅をとり上げたいと思います。というのは、宮ノ平駅にはかつて石灰製造会社の専用線があったというお話を NIFTY-SERVEFTRAIN で聞く機会があったからです。
 それによると当時は、奥多摩工業からトラックで運んで来た石灰石を窯で加工して生石灰を製造していたとの事。そして宮ノ平駅には、今もその石灰製造窯の遺構が残っているらしいのです。
 早速その話を書かれた 星合さん に、メールで色々とお話をお聞きしました。当初私は、前回発見したハイキング道脇の遺構がその窯だと思っていましたが、後でそれは勘違いだという事がわかったのです。

PhotoImage
Image
ハイキング道脇の遺構(前回の写真)

Icon H.Kumaさん こんばんは。メールありがとうございます。

 早速本題ですが、ハイキング道から見下ろせる工場跡は今回の話題のものとはまた別物です。この場所で最後に稼動していたのは奥多摩化工青梅工場です。それ以前には宮ノ平石灰工業という会社があったようです。レールが入っていた形跡は私も見たことがあるのですが、あくまで「形跡」。私が小学生の頃には既に線路はありませんでした(奥多摩化工青梅工場の方はしっかり稼動中だった)。

 会議室で持ち出した「筒井商工」は宮ノ平駅北東すぐの山際です。こちらは、専用線にワムやトラが停車中の光景を見たことがあります。駅の側線から北東方向へ踏切を渡って50〜60mくらいの短い線路でした。晩年は踏切が土砂に埋まってしまいましたが、その先のレールは結構長いことはがされずに残っておりました。

 ご存知であればわかりやすいたとえとして......古里駅にあった昭和石材工業所の専用線が一番感じが似ています。あれの砕石積み込み設備を屋根付ホームに置き換えると筒井商工専用線の雰囲気になります。

星合 英二 (☆) from KOBE....

PhotoImage
Image
宮ノ平駅より北東方向を望む

 というわけで、私の見ていたものと別の遺構があるという事がわかり、吉野梅郷へ自転車で梅見に行った帰りに宮ノ平に寄り、様子を見て来ました。
 教えられたとおりに、宮ノ平駅の北側の道を立川方面へ少し進んで行くと... ありましたありました。一見お城の石垣の様に見えますが、梺には小さなトンネルポータルのような穴が開いています。早速写真を撮って帰り、星合さん に鑑定をお願いしました。

PhotoImage
Image
筒井商工石灰窯の跡

Icon 間違いありません。これが「筒井商工」の石灰窯跡です。写真左手側に急勾配のインクラインが敷かれており、そのレール上のトロッコで石垣の上に運び上げたコークスと石灰石を交互に窯に投入し下から点火しますと、そのうちに下のトンネル状の穴から焼けた生石灰が自然落下して出てくるという寸法です。この穴にはレールは入っていなかったように記憶しています(確実ではない)。

 ちなみにもう一方の遺構は「宮ノ平石灰工業」の工場跡ですが、こちらは昭和40年代初めには廃業してしまいました。

 数年後に隣りの採石場で石灰石の新鉱脈が発見されたため、その隣接地(上記の跡地そのものだったかもしれません)に「奥多摩化工青梅工場」が新設されました。これは最新の竪窯を設備したものでしたが、比較的短期間のうちになくなってしまいました。

星合 英二 (☆) from KOBE....

 さてこれで、日向和田の謎も全て解けました。いやトンネルの位置の件が残ってますが、どうもあれは地図作図時の誤差の範囲内の様にも思えます。(^^;)
 今回は 星合さん に色々と教えて頂き、大変勉強になりました。あ、そうそう、石灰はもともと青梅の地場産業で、古くは江戸城の築城の際にもあの白壁に使われていたそうですよ。


ButtonBack to Rail Page