ご無沙汰をしまして。

 こんにちは。大変ご無沙汰しました。

この10月から、めでたく本社に復帰しています。
記憶が前後していまして、どこまでお話したかよくわからんのですが。
今の仕事は出張が多くて、来週も月曜、火曜と東京です。

 ところで、会社のFDを整理していたら、中断していた「五能線」の原稿が出てきました。かなり書き溜めたところでFDを紛失して、ガックリ来まして、それもきっかけとなってかなり間があいてしまいましたが。家にあると思い込んでいたら、会社にありました。とりあえず下記ですので、よろしければ転載お願いします。
それにしても1年がかりだ・・・^^:

近況などは、またゆっくりメールさせて頂きます。取り急ぎ。

KIXローカル


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第6章

 停車のショックで目を覚ます。まだ薄暗い。5時34分、秋田。定刻である。今日の夕方には再び秋田に戻ってきて、飛行機で帰阪することになっているが、まだ実感はわかない。さすがに、あたりにはうっすらと白いものが見える。何か安心したような気になって、もう一度眠りにつく。
 大館あたりまで、うとうととまどろんではまた起き上がり、半開きのカーテンの隙間から景色を眺めることを繰り返すうちに、雪明りから本物の朝の明るさへと窓外が変化していく。東能代で降りずに、弘前まで足を伸ばして、五能線を南下するコースを選んだおかげで、こうしてぼんやりと寝台で過ごす時間を得られたわけだ。地図と景色を見比べては、ひさびさの雪景色を楽しむ。
 大鰐温泉までくると、さすがにのんびりとはしていられない。10分足らずで身仕度を済ませ、下車に備える。弘南鉄道の線路がつかず離れずに望める。単線の古びたコンクリートの高架をくぐって、7時51分、凍てついた弘前のホームに立った。
 発車以来の相席だった女性も、一緒に降りた。不思議なもので、大阪駅のホームで見送りの彼氏とおしゃべりしていた人とは、別人に見える。大阪から夜行で弘前までやってきたからには、こちらの出身なのに違いない。東北から大阪に出てきて、普段はちょっと背伸びをして都会暮らしをしている女性が、久々にふるさとに戻ってきたのか、と思うと、素朴な素顔を垣間見た気がして、好ましい感じがする。恐らく本人も、列車から降り立った瞬間に、本来の自分に戻れた安らぎと解放感を味わっているに違いない。

 出口へと向かう彼女の後ろ姿を見送って、自分はしばらくホームに留まる。下車しても、すぐに改札をくぐる気にはなれない。一晩お世話になった列車を、きちんと見送りたい。夜行で一晩過ごしたという事実の再確認、寝台という非日常的な空間を満喫したひとときへの惜別、そして新しい一日の始まりへと気持ちを切り替えるための、一種のけじめ、儀式である。
 金沢で乗り込んできた親子連れだろう、まだ学齢にも達していない女の子が、窓の中からこちらを見ている。一晩を同じ列車で過ごした連帯感からか、私はその女の子に向かって手を振ってみた。見知らぬおじさんに突然手を振られた子供はいい迷惑である。引きつった表情の女の子を乗せて、青い列車は名残りを惜しむ私の気持ちも知らぬ気に、ぐんぐん加速して急カーブの向こうに消えていった。我に帰ると、乗降客でひとときの賑わいを見せたホームにすでに人影はなく、「りんごの里」と染め抜かれたのぼりだけが、冷たい風に裾をばたつかせながら私を見ていた。

 日本人には、「ハレ」と「ケ」という概念がある、という話を何かで読んだことがある。「ハレ」とは、五穀豊穣を祈る各種の祭りに代表されるように、日常のつらい農作業からしばし解放されて、酒や歌、踊りでひとときの楽しみに興じるといったニュアンスがある。日常に対する非日常、である。一方「ケ」とは、原始的な占いや信仰上の理由から、身を清め派手な行いは控える、といったような、日本人特有のつつしみ深さに通ずる部分である。
 昨日の旅立ち以来、日常の緊張がほぐれるにつれて、その「ハレ」の気分が徐々に高まり、いよいよ五能線への初乗りを前にして、それはピークに近づきつつある。女の子に手を振ったりしたのは、その「ハレ」の気分のなせる業である。

 さて、これからどうするか。せっかくだから、弘南鉄道に乗って、黒石経由で川部まで行って五能線に乗り継げないかと思った。JRの改札を出たすぐ並びに弘南鉄道の窓口がある。おばさん職員がいて、うすい紺色の制服らしきものを一応着こなしている。「黒石までどれくらいかかるか」と尋ねたところ、東北人特有の愛想の無いそぶりで「35分くらい」と答えた。黒石から川部への乗り継ぎがスムーズに行くかどうかよくわからないし、朝食もとらねばならない。時刻表を見ると、次の黒石行は8時ちょうどの発車である。あと2分しかない。判断するには時間がなさすぎて、弘南鉄道はあきらめ、当初の予定通り城下町観光に切り替えることにした。
 待合室の一角にある蕎麦屋で朝食を取りながら、カウンターの中のおばさんに弘前城までの所要時間を尋ねる。30分くらいとのことで、少し遠い気はするが、とにかく時間はたっぷりあるので歩いてみることにする。
 青森県下の主要都市としてふさわしい結構を整えた弘前駅前から、右手の大通りを進む。牡丹雪が降りしきっている。積雪は5cmくらいで決して多くはないが、歩道は凍結していて滑りやすい。路面を真上から踏みしめるようにして、転ばないように気をつけながら歩く。途中には、地元民放局の支社ビルもあったりして、弘前が青森県南部の重要な位置をしめていることが伺える。

 ひたすら進むと、きっかり30分で城跡の公園に突き当たる。堀がめぐらされていて、まっすぐには公園に入れない。左へ回りこんで追手門側に進む。牡丹雪は激しくなっていて、コートの肩に降り積もっている。荷物を減らすために、傘は持って来ていない。
 門前の案内板によれば、弘前城は、1611年に津軽藩の第2代藩主・津軽信枚(のぶひら)により開かれ、この三の丸追手門は重要文化財とのこと。誰もいない公園内を、さくさくと進む。いつしか、牡丹雪は粉雪に変わっている。
 標識にしたがって天守閣を目指すのだが、なかなかその姿を現さない。やっとたどり着いて見ると、拍子抜けするほどかわいい天守閣である。再び案内版を見ると、創建当時の天守閣は1627年に落雷により焼失したため、1810年に第9代藩主・津軽寧親により本丸辰巳櫓が現在地に移築された、とある。櫓だと思って肩の力を抜いて、内堀を隔てた距離から見れば、それなりの構えではある。

 ひたすら天守閣を目指して来たので、追手門まで戻る道すがら、改めて公園内を見渡してみる。相当に広い。背の高い針葉樹が豊富に、しかも計算されて配置されており、敷地内には植物園もあるという。まだ観光客も少なく、しかも雪が積もっているので、シーンとして何も聞こえない。人恋しくなるような静けさだと思っていたら、若い女性客の歓声が近づいてきて、何かホッとさせられる。
 駅まで同じ道を引き返すのはおっくうだったので、追手門前にたむろしているタクシーを奮発する。肩の雪を払って、やれやれと乗り込む。
「ここんとこ暖冬で、今年も雪が少ないです。普段の今頃なら、30cmは積もりますが」「雪が少ない方が運転するにはいいですが、昼間の暖かさで溶けた雪が夜中に凍るので、こいつはちょっとやっかいです」「大鰐温泉のスキー場は有名ですが、近ごろの若い人はわざわざ雫石(岩手)まで出かけたりするようになりました」などと運転手の話を聞くうちに、10分足らずで駅前に到着し、束の間の弘前観光は終わった。

 乗り継ぎの時間を気にして道中を急いだ結果、30分も待ち時間が出来てしまった。丁度9時半となり、駅ビルのショッピング街がオープンしたので入ってみる。薬局で糸ようじを買い、トイレに入る。それでも時間が余るので、コンコースをうろうろして暇をつぶす。
 待ち合わせらしい高校生くらいのグループが、「あ、おはよう。こんなところでどうしたの」みたいな会話を交わしている。津軽弁だから、同じ高校生でも都会と比べて可愛げがある。地元の人の何気ない会話を聞きながら、発車までのひとときをぼんやりと過ごすのは楽しい。上野駅にやってきた啄木の気分である。こういう何気ないところに、旅の醍醐味があるのだと気付かせてくれる一瞬である。

第7章

 10時02分の深浦行きは3番線からの発車となる。これから今日1日、長いお付き合いとなる編成はキハ40とキハ48の2両。最近のローカル線で流行の軽快気動車とやらでは、大いに興ざめするところだが、「堂々たる」DC2両編成に出会えて大いに気分が乗ってくる。これで第1関門は突破である。両端のデッキ近くがロングシート、中央部がクロスシートの、地方幹線では標準的なアコモだが、国鉄急行色に塗られているのが、これまた嬉しい。
 第2関門は、シートのポジショニングである。川部で進行方向が逆となって五能線に乗り入れること、海の見える側に座ることを考えれば、ここ弘前では進行方向を背にして左の窓側を確保しなければならない。幸い、各ボックスに乗客が1組ずつ程度という、適度な乗車率だったので、この課題も無事にパスした。
 地元の乗客に交じって、明らかに観光客、あるいは鉄道ファンとわかる人も何組か乗っている。背中合わせのボックスは若い夫婦連れで、「どれくらいかかるの?」「5時間くらい」「ずっとこれなの?途中で乗り換えるんでしょ」という会話が聞こえてくる。私と行動パターンが全く同じなので、五能線を目当てにはるばる乗りに来たな、とすぐわかる。そういう妙な人、思いのほか増えているようだ。

 いよいよ発車。エンジン音が高くなる。ビロビロ、ドドドド、カラカラ・・・。様々な音が交じり会い、トーンを上げながらスピードが乗って行く。音、振動、かすかな排気の匂い。何度経験しても、キハはいいなと思う。幼い頃、夏休みに田舎へ連れていってもらったこと、連休のたびに各地を旅行した青年期等々、様々な思い出につながるなつかしい感触である。
 ボタン雪をかいくぐって本線をしばらく走り、川部で数分停車の後、進行方向が変わっていよいよ五能線に進入する。しばらく本線に寄り添ったかと思うと、構内を抜けてすぐにぷいと右に向きを変える。気がつくと、すでに線路の両側は、奇妙な枝振りの果樹園でうめ尽くされている。それほど大木というわけでもないので、さくらんぼか何かのように見えるが、これはりんご畑だ。

 『果樹園の見頃は収穫期だろうが、白い花をつける春も捨てがたい。もっともみごとなのはリンゴで、信越本線の長野付近や飯山線の豊野−戸狩間などで存分に見られるが、とくにすばらしいのは津軽平野を走る五能線の川部−五所川原間であろう。』(宮脇俊三「旅は自由席」新潮文庫157ページ)

 春の旅の素晴らしさについて宮脇氏にこう語らせたのは、まさにこの区間であるが、今は冬で、白いリンゴの花の代わりに、白い雪がうっすらと地表を覆っている。収穫から漏れた小さな赤い実がひとつふたつ、モノトーンの世界の中でわずかに彩りを添えている。
 さすが本場、とうならせる、視界をさえぎるもののない広大なリンゴ畑の真ん中を、線路は貫いている。川部から3つめの板柳を過ぎるまで、およそ10km以上にもわたって、白い築堤の上を2条のレールが一直線に伸びる様は壮大な眺めだ。今乗っているのは先頭車なので、観光客もかわるがわる最前部まで足を運んでは「まっすぐだよぉ」と唸りつつ戻ってくる。
 一駅ごとに地元の客が乗り込み、座席はほとんどふさがった。五所川原へ向かう買物客だろう。特に着飾っているというわけでもないが、どことなく正月らしい華やいだ雰囲気がただよってくる。会話に耳をたててみるが、「〜べか」「んだんだ」くらいしかわからない。

 10時46分の五所川原で予想通りたくさんの客が降り、乗車率は40%くらいになる。発車すると、津軽鉄道のレールとすぐに東西へ別れ別れになり、ここまで連れ添ってきた岩木川の流れを渡って、ひたすら西を目指す。
 夜行明けで眠くなり、ついうとうとする。目が覚めると鰺ヶ沢で、16分も停車して、弘前行きと交換する。
 やがて上りにかかり、クマザサと灌木の間をゆっくりと走った後、日本海を見下ろす高台に出た。ついにきたか、と感慨を覚える。天気はよく雲も切れている。空は青いが波は高い。海沿いなので雪はほとんどなく、今朝の弘前の雪景色と対照的だ。

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