小田急線の小田原駅から一つ新宿寄りに足柄駅という駅があります。(御殿場線のではありません)この足柄駅から、そばにある日本たばこ産業小田原工場へと(確証はありませんがおそらく)伸びる貨物線がかつてありました。正確に調べてないので完成した時期と廃止になった時期は不明瞭なのですが、20年ほど前には廃線になったとの事。20年たった現在でも、廃止になった当時の面影を多分に残す廃線跡が見られます。2005年夏に私用で小田原へ行ってきた時見てきたので、この場を借りてレポートさせていただきます。

イメージ1
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足柄駅の留置線の隣から撮影。(始点付近)写真に写っている小田急線の車両は、駅に停まっているのではなく留置線に止まっている回送電車。

その廃線跡は、足柄駅の新松田寄りの踏み切りから、唐突に始まっていました。イメージ1のように木の架線柱が現存されているので、ここが線路跡だというのが誰でも分かるスタイルとなっています。尚、現在この土地の所有主は不明ですが、電車の敷地の部分と廃線跡はフェンスで仕切られており、地元の人の通り道の一つして開放されているようです。(実際、地元の人も何人も歩いていました)間違っても線路に無断に立ち入り・・・・という感じの場所ではありません。夏だったので傍らには、ヒマワリが咲いてました。写真よりも、一枚の絵画のような感じの場所でした。線路と敷石を復活させれば廃線跡にはちょっとみえないくらい、当時の面影が残っています。

なお留置線の都合上、ホームからは離れているので留置線に電車があると、ホームからの確認は難しいと思います。この足柄駅の留置線も貨物のヤードと呼ばれているものの名残だと思います。少し前の武蔵境駅みたいな感じです。

イメージ2
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イメージ1の奥のほうへ進むと、暫くすると小田急線の線路から離れていく。架線柱も健在。両サイドには住宅が続く。

暫く、留置線と並行した後、日本たばこ産業の工場の方へ分離していきます。敷地の幅からして多分、単線だったのでしょう。夏だったので、草がボウボウでしたが、普通に通行できる感じの場所でした。それにしても、廃線はまったく素人の人間である私にも、ここまで分からしてくれる廃線跡も珍しい…。

イメージ3
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イメージ2を進むと遊歩道と整備されている。余談ですが、「小径」は一瞬「少し怪しい」と見えてしまいました。^^;廃線跡なので怪しいといえばそうなのかも…


暫くカーブが過ぎると、廃線跡は遊歩道として整備されてます。「久野緑の小径」(くのみどりのこみち)となり、なんか下水を暗渠化した遊歩道見たいになっていました。ここに鉄道の名残は特にありません。5分ほど歩くと、小田原厚木道路(高速道路なので頭上をかすめていくだけですが)と県道74号線(多分)にでます。ここのところ、写真撮ったつもりなのですが…撮っていなかったみたい。スイマセン

この県道を挟んで、向こう側が日本たばこ産業小田原工場で、この廃線跡も終わりです。無論、工場のほうはバリバリの現役です。^^; 終点付近に廃線の名残りは見つけられませんでした。ちなみにこの県道を南に進むと、車だと10分〜20分くらいで小田原駅北口に出ます。駅前に北条早雲の立派な像があります。

ちなみに、マップファンではこの廃線跡は未だ現役の線路として描かれている・・・Map

以上で、レポートを終わります。廃線跡は歩いても10分程度のものなので、小田原に寄ったついででも、充分にみられるスケールです。お近くにお寄りの際は是非どうぞ。最後にこの場を提供していただいた H.Kumaさんに御礼申し上げます。


日本専売公社専用鉄道について

この線は 1949(S.24)年に敷設された 1.0kmの専用鉄道であり(但し、専用線一覧の記載では 0.8kmの専用側線)、その目的は当時の日本専売公社小田原工場増築の為の資材や、煙草生産の原材料、また製品の輸送などであった。 当初は小田急のデキ、その後1951(S.26)年より専売公社で購入した凸型機関車101号で運行していたが、1958(S.33)年からは小田急が委託を受けて運転業務を行なうようになり、その際に 101号も小田急へと譲渡された。 やがて自動車輸送への切り替えが進み、末期は原材料の搬入のみに使われていたが、1984(S.59)年に廃止された。(参考:鉄道ピクトリアル 1999/12 小田急電鉄特集)

H.Kuma

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