"村山貯水池"な駅たち

Photo   武蔵野鉄道 山口線(現 西武狭山線)

 探索途中で西武球場前駅に寄ってみた。ホームの屋根越しにドームの見える風景は一種独特なものがあるが、ここのホームの広さもまた異常だ。
 この駅の右手に狭山湖駅が、さらに奥に村山貯水池際駅(当初は村山公園駅)があったが、現在は人工スキー場の施設に飲み込まれてしまった様だ。
 この線も開業時は山口線と称していたが、その後現在の山口線にその名を譲った。

Photo 多摩湖鉄道(現 西武多摩湖線)

 こちらは、現在レオライナーの終点にもなっている西武遊園地駅。遊園地駅とは言うものの、乗客は皆レオライナーに乗り継いでしまうのだろう。駅前は閑散としており、人影はまばらだった。
 駅は山の中腹の窪地状の場所にあり、電車のいない時は周囲と隔絶されたひっそりとした空間だ。多摩湖鉄道時代の村山貯水池駅は、もう少し手前にあったようだ。

10Photo (旧)西武鉄道 村山線(現 西武西武園線)

 (旧)西武鉄道の方は、村山線の終点に村山貯水池前駅を開設した。その後、(新)西武鉄道になって西武園競輪場が出来たために、途中から北へ分岐する支線を建設し、西武園駅を新たに設けた。
 現在の西武園駅だが、2面3線で西武遊園地駅よりは若干規模の大きな駅である。だが駅前はやはりあまり賑わっている雰囲気は無い。これが競輪開催日だと、全く別世界の様になるのだろうが。

11Photo

 元分岐点のあった付近へ行ってみる。家並が怪しいなと思って裏手へまわって見ると、あった! 未舗装のだだっ広い道。正面奥をすかして見ると、向こうから電車のライトが見えて来て、ちょうどこの袋小路の奥で左手へ曲がって行った。
 写真を撮っていると、後ろから声をかけられた。そこには廃線跡に建てられた家が並んでおり、その一番手前にある弁当屋のおばさんだった。私が自転車を停めてキョロキョロしていたので、近くにある菖蒲園を探していると思われた様だ。

12Photo

 親切に教えて頂いたので、せっかくだからとちょっと寄ってみた。こんな住宅地に?と思うような場所に、小規模だが立派な菖蒲園があり、昔の民家も開放されている。
 しばらく休んだ後踏切の方へ行ってみると、そこが分岐点のあった野口信号所跡らしかった。分岐点と言っても、実際は西武園駅開業と同時に村山貯水池前駅は廃止されてしまったので、分岐点として機能する事はなかったらしいが。

13Photo

 そこから現在の線路に沿って少し西側へ進んで行くと、廃線跡に建つ一直線な家並が南側へと離れて行くのが観察出来る。その間のデルタ地帯には一帯に青いビニールシートが被せてあるが、現在遺跡の発掘調査をしているとの事だった。 (犬釘でもでて来ないかなぁ...ってまだ言うか ^^;)
 ちなみにこの村山線、ほんとうは東大和、武蔵村山を通って箱根ヶ崎まで到達する計画だったのだ。


参考:
  • 「鉄道廃線跡を歩くIII」宮脇俊三 編著
  • 「鉄道考古学を歩く」浅野明彦 著

ButtonBack to Rail Page