Image 車両総説

「あ、そうそう。工場長クン、新しい車両のスケッチが出来ているんじゃないのかね?」

「それでしたら車両部の方に...。」

「そうか、じゃちょっと見てくるかな。」

 社長が行ってしまうと、工場長は次のように語ってくれました。

(工場長談)

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 "この工場の発足したのは、・・・あれはいつの事でしたかねェ。そう、西武秩父線が開通して、「・・・特急85分!」なんて CMがさかんに TVに流れてた頃です。うちの社長も刺激されましてね・・・あれに。レッドアロー号がここで作った第1号車になりました。

 もっとも、金が無いとかで車体は黄ボール、屋根はバルサで、下地仕上げ省略、窓抜きもしないうちに塗装に入りましてネ、それも筆塗りのボテボテだからなんか芋虫みたいになっちゃって、おまけに台車が手に入らないとかで、とうとう完成前に廃車になりました。

 その後社長もしばらくやる気を失ってこちらもホッとしている所に、誰から聞いたんだか「ペーパーキットなる都合のいいものがあるそうだから作ろう。」なんて事で、クハ157、モハ156を購入、今度は屋根もホオ材で台車も入手して何とか完成したんですけど、しばらくしてモーター破損により休車、しばしホコリをかぶった後解体しました。

 これに前後して、唐突にクモハ101も購入。この頃からカンナによる高速度屋根板整形工法を編み出したんですが、面白がってやり過ぎたために車体幅が足りなくなり、製作中止になってしまいました。

 台車だけ 3両分も余りましてね... 遊ばしとくのはもったいないってんでクモルやら荷電やらゲテものばかり作って、でもどれもこれも半年たたずにオシャカですよ。そうこうしてるうちに、工場の技術も進歩しまして、高性能車モハ800形ができ、さらに最近はステンレスカーなんかも手がけました。

 それにしても今まで 1両も完成車の購入がないというのもこの会社のハジ... いやいや誇りですなぁ。"


Image 車両現況

 しばらくして、社長が車両部長と共に戻って来ました。様子から察するに、ニューモデルが気に入ったようです。車両部長は、私のためにわざわざ車両現況の記事を下さいました。

 現在、当社に在籍している車両は以下の 2形式のみですが、これは当社の存在そのものを知らない方が多いようで、現在のところこれで間にあっております。

−モハ800形−
一見、新京成を思わせる車両ですが、実はあるスジから新京成電鉄モハ46の図面を入手いたしまして、これに若干の切り接ぎを行って完成したものです。現在 Mc+Tc 1本で主に東京〜高根公団で運行されております。
−モハ3500形−
当鉄道の主力車で、京成電鉄よりモハ3500形の設計図を拝借して製作。京成とまったく同形となっております。Mc+M+M+Mc 固定編成 1本で一日中本線上を走り回っております。
 当社車両の特徴としましては、社名にも関連してその快速性があげられます。先日の秋期西千葉運転所特別乗り入れ運転に際しましても、その乗客を度外視した俊足は皆を圧倒させたので、既にご存じの方も多いと思います。
 なお近い将来、快速用新形式の大量増備が噂され、スタイルも検討されつつありますが、今のところ資金難及び時間不足で、製作に踏み切る予定は立っておりません。


Image 後部車から

 一通りの視察が終わって私は帰途に就きました。ステーションまで送って下さった社長は、会社の経営状態に関して触れませんでしたが、最近西千葉運転所会計役員も兼務されているとかで、当分倒産の危機に瀕するという事もないでしょう。

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社長専用サロンカー
(...の設計図。結局資金不足で着手に至らなかった。)
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 この文章は、実は大学鉄研の機関誌「らうんどはうす」に掲載されたのを加筆修正したものである。
 当時、車両の運用研究や旅行記の多かった投稿の中で、ひときわ異色の文章として注目を浴びた(ひんしゅくをかった ^^;)

 誰しも一度は経験があるだろうが、自分の経営する鉄道を夢見て、地図に路線図を書いてみたりするものだ。(最近はそのような内容の Webサイトもあるみたいですね。)
 私の場合も、地元下総の台地に電鉄を繰り広げており、その後製作した例の怪しげな車両の側面にも、シッカリと SRR. の文字が入っていたりする。

 その後現在の居住地:青梅へ移り、下総の台地からは遠ざかってしまったが、時々そんな子供の頃の夢を想い出してみる事もある。今度開業するんだったら、京青電鉄(Keisei?)か... 奥多摩急行(OER?)か... ここからここへ線路を引いて... ここへ駅を持って来て... そんな事を考えるのもなかなかに楽しい。


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