下河原線 1998/01

 下河原線の歴史は古い。明治43(1910)年には東京砂利鉄道として、国分寺〜下河原間が開通している。その頃の地図を見ると、南武線五日市線はまだなく、青梅線も日向和田止まり、西武国分寺線は新宿線と通しで川越鉄道と記載されている。京王線、武蔵野線は当然影も形もないし、分倍河原あたりは古戦場と表記されており、茫洋たる景色が目に浮かんでくる。
 その後東京砂利鉄道は国鉄に買収され、東京競馬場の開場と共に旅客営業を開始するが、武蔵野線開業によりその使命を終え、しばらく貨物線として営業を行なっていたが昭和51(1976)年に廃止された。

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 さて、この日は国立で総研線を見た後、なるべく中央線に沿って国分寺まで足を伸ばそうとした。ところが国立から坂を登って行くと、突然行き止まりになったり、道があらぬ方向に曲がっていったりして、西国分寺の駅前に出るまでにけっこう難儀してしまった。そこから先も線路南側を行ったため、中央鉄道学園跡の敷地を迂回させられたりして、だいぶ時間をロスする事になった。

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