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10. 高知から徳島

高知駅の待合室でしばらく休憩しつつ時間を潰し、そろそろかと思ってホームへ上がって行く。 と、アチャー、もっと早く来れば良かったか?そこには、これから乗る列車の客がホーム一杯に大行列を作っていたのだ。 そんな乗客達を一杯に詰め込んで、阿波池田行きの気動車はアンパンマンのメロディに送られて発車。 大屋根に覆われた高知駅の高架ホームを出れば、街並みを眺めつつ徐々に郊外へと走る。 何故か運よくロングシートに座れたが、車内は大混雑で賑やかな会話が飛び交っている。 立っている若者の多くは同じ団体のグループの様で、身なりからすると、これから海水浴にでも行くのだろうか。 彼らは後免駅でゾロゾロと降りて行ったので、土佐くろしお鉄道に乗り換えてどこか沿線のビーチへ向かうのかも知れない。

Photo 高知駅ホーム。2008年に完成した高架駅は三代目駅舎となる。ホーム上を覆っているのは地元の杉材で作られた大アーチ屋根で、通称「くじらドーム」

次の土佐山田駅で地元の客が降りてしまうと、ここで14分の長時間停車。 ここまでは高知の近郊路線、ここからは遠距離ローカルとなり、同じ車両は使うもののまるで別列車のような扱いではある。 閑散となった車内を見渡せば、おそらく私と同じ18きっぷ旅の中年男性が大半を占めている。 ようやく時間が来て発車すると、昨日と逆で一気に山中へと分け入ってゆく。 往路は渓谷側に席を取ったので、今日は逆サイドのボックスに移動した。 途中の大歩危あたりでは雨が降って来て、車内の冷房も効き過ぎて体の冷えること。

所要2時間半の乗車で、この旅2回目の阿波池田に到着。 本日はここで徳島線に乗り換えとなるが、次の列車まで1時間待ちである。 昨日の2時間に比べればまだましだが、さてそれまでどうしようかな…。 駅前に出ると昨日足を向けなかった駅の真正面にいい感じのアーケードが見えたので、そちらを少し観察してみる事に。 最近自分でアーケードを手がけた(笑)事が影響して、こういった構造物にはとても興味があるのだ。 入って行くと、ここもご多分に漏れず数軒を除いてどの店もシャッターを下ろしている。 途中の催し物広場にも人影がなく、洒落た造りの東屋で猫が一匹ニャーニャー鳴いていた。

Photo 阿波池田駅前から続くアーケード商店街。駅名にその名を残す池田町は平成の大合併により三好市となった。左手は商店街が切れてイベント広場となっている

駅へと戻り、既に13時を回っているので構内のコンビニでお昼の調達。 レジに並ぼうとすると、先客がどうぞと言って順番を譲ってくれる。 会釈しつつよく見たら、先ほど通った改札の若い駅員さんであった。 イートインで軽く食事を済ませ、既に入線していた徳島行きに乗車する。 便数も編成も少ない為か、車内はほぼ満席である。 発車するとすぐに次の佃駅で土讃線を左に分け、そこからは初乗車の徳島線となる。 JR四国は全ての本線から「本」を外してしまったが、ここもかつての徳島本線、"本"を省いた事により、変換で「得しません」となりがちなのは(笑)、認識しているだろうか?

Photo 阿波池田駅ホーム。徳島行き普通列車はワンマンの1200形気動車。これは1000形を改造して、1500形への併結対応を施したものだ

土讃線と比べると地形の変化が少ない分、徳島線の車窓は刺激が少ない。 時々左手に吉野川が見えるが、このあたりでは渓谷を成すわけでもなく、至ってゆったりと流れている。 窓枠に頬杖をつきウツラウツラしながら外を眺めていると、繰り返し出て来る光景は空地を埋め尽くすソーラーパネルの群れだ。 昨今はどこに行っても鉄道用地に隣接したものを見かけるので、少々食傷気味に感じる。 たくさんいた乗客も、途中の鴨島駅でほぼ下車してしまったが、ここは沿線では割合と大きな街のようである。

Photo 難読駅の一つ府中(こう)駅。名鉄乗りつぶしの時、国府(こう)で乗換の際に話題にした。駅名標の影に隠れている「街角博物館」というのも気になる

車窓は平凡だがこの沿線には特徴のある駅名が多い。 ひと頃ブームになった学(がく)駅や、難読駅として知られる麻植塚(おえづか)、府中(こう)、鮎喰(あくい)駅などである。 やがて高架に上がり左手から高徳線が近づいて来ると佐古駅に到着。 もう一駅で終点の徳島であるが、私はここで一旦乗り換えだ。 ホームへ一歩足を踏み出すとムッとした暑さに、一瞬車内に引き返そうかと思った。 時間が少しあるので階段を降りて階下のトイレへ、小さいながらも真新しい感じのする小奇麗な高架下駅舎だ。

Photo 佐古駅で乗り換え。島式ホーム一本のみだが、徳島市内で唯一の高架駅である。徳島線としてはここまでだが、列車は次の徳島駅まで直通する

再びホームへと上がり、鳴門行きの列車を待つ。 日没まではまだ多少時間があるので、鳴門線往復を考えたのである。 鳴門線もまた地味な路線で、地形的に車窓も期待出来ないだろうし、沿線に特に観光地があるわけでもない。 鳴門の渦潮も終点からかなり先で、車で行かなければ見物出来ない。 なので、こんな機会でもなければ敢えてこの線に乗る事は無いだろうと思ったので、寄ってみる気になった。

そのうちによく聞き取れない案内放送が流れ、気動車の編成がホームに入って来た。 乗り込もうと思ったが、ホームの時計を見ると発車予定の2分前。 行き先表示を見逃して迷っているうち、列車は短い停車時間で行ってしまった。 ひょっとして乗り逃がした?だがその2分後、予定通りの時間に鳴門行きの幕を掲げたキハ47が登場。 地方の駅で2分間隔で列車が来る事に驚いたが、考えてみればここは徳島線の分岐駅だし、この先でさらに鳴門線も高徳線から分かれるので、各方面の列車が入り乱れて走っているわけか。

だが停車した列車に乗ろうとして待つも、あれ?ドアが開かない。 乗り口が違うのかなと車掌の方を見ると、隣の車両前で若い女性が両足を踏ん張り、ヨッコイショと重そうにドアを押し開いている。 あぁ、そうだった。 国鉄時代からの形式はドアボタンの付いていない車両が多いので、半自動の運用では手で押して開けるしかないのを忘れてた。 無事に車中の人となり、重厚なエンジン音で発車したキハに身を任せると、程なく吉野川を長い鉄橋で渡って数駅過ぎれば分岐駅の池谷だ。

Photo 池谷駅に停車。鳴門線の車中より高徳線乗り場を望む。鳴門線と高徳線のホームは八の字型に配置されており、その間に駅舎が建っている

この池谷(いけのたに)という駅は面白い。 高徳線と鳴門線のホームが八の字に開いて配置されており、その中央にスッポリと駅舎が挟まって鎮座しているのである。 およそ国鉄型らしくない形態の駅構造だが、鳴門線の前身は阿波電気軌道という私鉄だったそうだから、おそらくその名残もあるのだろう。 池谷を出て鳴門線に入ると、列車は吉野川左岸に広がる平地の中を淡々と進んで行く。

終点の鳴門駅は島式ホーム1面のみ、駅舎へはホーム先端の構内踏切を渡って行く。 一応は鳴門観光の入口となっているのだろうが、この時間帯では日曜と言えども駅前に人影も少なく空気は黄昏ている。 駅頭の写真だけ撮って、今来た列車でそのまま折り返し。 すっかり乗客の少なくなった車内から眺めていると、教会前とか金比羅前とか、この線の駅名は少々投げやりな感じで付されているのに気づかされる。 ちなみにここの「教会前」は、観光地としてのキリスト教会等の建物を指している訳ではないので、間違ってはいけない。

Photo キハ47の2両編成が鳴門駅に到着。ホームはなだらかなスロープで構内踏切へと繋がり、改札口に至る。後方に見える橋は跨線橋ではなく、駅を跨ぐ歩道橋である

復路の池谷駅では鳴門線同士の列車交換や、高徳線の特急列車への乗り換え等があり、無人駅なので車掌への精算も含め、ホーム上はひととき多くの人でかなりごった返した。 それらが一通り済んで乗客が車内に落ち着くと、ホームに残った車掌同士が何だか楽しそうに言葉を交わしたり、軽くふざけあったりしているのが見えて微笑ましい。 年齢からすると先輩と後輩のようだが、発車時刻となりそれぞれの列車に戻る際には、ピシッと敬礼を交わす姿が爽やかで気持ち良く感じた。 池谷を出ると周囲は蓮根の畑が広がっており、景色は茫洋として掴みどころの無い感じだ。

徳島駅到着はほぼ18時。 途中で鳴門線にちょっと寄り道したとは言え、高知から徳島への移動はほぼ一日がかりだ。 別案としては土佐くろしお鉄道と安佐海岸鉄道をバスで繋いで室戸岬を回ってくるルートも考えたのだが、そちらだとさらに時間がかかるだろう。 そもそも18きっぷの使える区間が短くなってしまうので、また別な機会にでも乗ってみる事にしよう。 駅前のデパ地下で寿司2パック千円のタイムサービスを見つけ、これ幸いと本日の夕餉にする事にした。 ロープウェイで夜景見物でもと考えていたが、暑さで体力の消耗が激しく、見送る事にしてしまった。

Photo 夕刻18時前、ようやく徳島駅に到着。徳島県の中心駅だが高架化はされていない。地上に多くの列車が顔を並べる姿は、昭和の情景そのものだ

11. 徳島から高松

四国旅最終日は、朝8:46の列車で徳島の地を後にする。 結局この街ではどこへも行かずに終わってしまった。 眉山もパスしたし、阿波踊り会館も見に行かなかった。 そう言えば高知だってはりまや橋を覗きに行った程度なので、今回の旅はほぼ乗りつくしがメインとなっている。 皮肉なもので、むしろ途中の中継地である阿波池田で一番街歩きをしているのだから、全くはたから見たらおかしな旅程を組む変わり者だと思われてしまうに違いない。

Photo 四国最大を誇る立派な駅ビルの徳島駅。乗降客も高松に次ぐ四国内第2位であり、駅前は朝早くから多くの車やバスで雑踏していた

徳島駅の改札口で、18きっぷに4回目の日付を入れてもらいホームへ行くと、1番線の先端部分には高松行き2両編成の気動車が待っていた。 だが後部の車両はドアに「回送」の札をぶら下げてあり、乗車出来ないようになっている。 で、1両目はどうかというと、これが結構席は埋まっているのである。 そこそこ混んでるんだし、回送する位なら途中まででも客を入れてもいいんじゃないか?と私なんかは思ってしまうが、何か理由があるのだろうか。

Photo 四国内最終ランナーは初日以来の1500形。2両編成だが、後部一両は回送扱いで乗車が出来ない運用となっている

発車すると昨日通った佐古、さらに何駅か過ぎて池谷駅を出ると、ここからは未乗区間の高徳本線…、いゃ高徳線だ。 四国の元本線の中で高徳線が旧国名を冠していない不思議、については前回に書いたので割愛する(笑)。 板野で降車客多数、車内はガラガラとなり回送車も切り離される。 おそらくここから折り返して、徳島方面へと向かう通勤列車になるのだろう。 板野を発車すると吉野川流域を離れ、単行となった気動車は緑濃い山岳区間へと力行を開始、この先は高徳線の難所、大坂越えとなる。

力強くエンジンを響かせて登り、山中の阿波大宮駅を過ぎれば長い大坂山トンネルを抜け、海沿いに出てそこはもう讃岐の国である。 列車に乗っていて水平線が見えると何となくホッとする。 四国に入ってからというもの、海岸沿いを走る車窓というのは意外な事にこれが初めてなのに今更ながら気がついた。 讃岐津田では特急の追い抜きがあり、しばらく停車。 この旅で特急に抜かれるのは一体何回目だろう、等と考えつつしばし待つ。

Photo 高徳線鶴羽付近の海岸風景。四国に入ってからはこれまで内陸部の路線にばかり乗っていたので、久々に海の見える車窓は嬉しくなる

造田、オレンジタウンときて、志度駅まで来ればもう終点の高松は遠くない。 琴電の志度線には以前乗っているから、このあたりほぼ平行して走る高徳線からの風景も、何となく見覚えがあるような気がする。 古高松南駅では、並行して走っている国道を一人ひたすらに歩くお遍路さんをこの旅で初めて見かけた。 高松市街地を南側から巻くように単線高架に上がり、琴電本線の上を立体交差で通過すれば栗林公園北口駅に停車。 ここで観光客の乗り降りが何人かあった後、右カーブを進んで地上へと降り、左手から予讃線が合流すると最後に高松駅到着となった。

高松からは快速マリンライナーで一路岡山へと向かい、その後は新幹線で一気に日常へと戻って行く事になる。 思えば、18きっぷを使って初めて泊りがけの長距離旅に出たのが、2005年の山陰鈍行一人旅であった。 その時に旅の途中で干支の4周回を迎えたのだが、早いものであれからもう12年、齢も重ねてこの旅の直後には60代に突入となった。 旅の主目的たる地方ローカルの電車巡りも、ここまでで未乗なのは残すところ鹿児島市電くらいとなっている。 果たして次の12年後も、私は相変わらず一人で同じような旅を続けているのだろうか…

(おわり)