Banner
山陰鈍行一人旅 2005/07

2005年、夏・・・ 一枚の切符を手に旅に出た。行き先は山陰本線。京都から鳥取、松江、出雲を経て下関市の幡生までを結ぶ営業キロ 673.8km、日本最長のローカル本線を走破するのが目的だ。

Map Map Map

〜 序章:山陰への思い 〜

山陰本線を一度通しで乗りたかった。それは、私のイメージとしては客車列車。 ニス塗りの車内に、モケット貼りの腰掛け。そして、暗い車室内から四角い額縁の向うに広がる日本海は、夏の日差しのもと、どこまでも青く静かに横たわっている。 そうした光景を、いつも心の片隅に持ち歩いていた。

でもぐずぐずしてるうちに、そんなものはとうに無くなってしまった。 列車は気動車化され、本数も削減、運行区間は細切れに。 おまけに「あの」餘部鉄橋まで架け替えの話が出て来てしまうにつけ、これはさすがにもう行かないとだめだと考え始めていた。 何せ私にとって餘部はあこがれの鉄橋、山陰の聖地なのだから。

そしてそれをさらに決定的にしたのは、最近読んだ内田百間氏の「阿房列車」。 第三巻に収められた「菅田庵の狐−松江阿房列車」だ。 この一編は、阿房列車の数々の作品の中でも私の最も気に入った物となったのだが、第三列車特別急行「はと」で東海道を下って来た百間先生は、大津で一泊の後、福知山線経由で山陰本線へと入り、松江まで出かけている。

目的を持たない事をよしとする(でも借金をしてでも出かける)百間氏の旅は、松江に着いても何もしない。 日がな一日、宍道湖を眺めてぼぉっとしている。 この地の人に観光地巡りに連れ出されても、適当に切り上げて帰って来てしまう始末。 でも夜になれば気分もシャキっとして、地元名産の魚を愛でながら、旅の道連れ山系氏と一献を傾ける。 根が貧乏性の私にはさすがにそこまで徹底して出来ない(おそらく昼間は寸暇を惜しんで歩き回ってしまうだろう)が、ここは一つ松江に泊まって宍道湖を眺めてやろうと考えた。

松江を宿泊地に選んだもう一つの理由は一畑電鉄。 今や各地の地方私鉄は風前の灯だが、ここ山陰地方にあって元気に生きながらえているこの鉄道にはぜひとも乗っておきたい。 加えて、かつて名車と呼ばれた京王の5000系が、遥々譲渡されて来て第二の故郷で余生を送っている。 私の好きだったこの電車にもう一度会ってみたい、そんな思いもあって、宍道湖畔に宿をとったという次第だ。

Photo
Image
 旅人:H.Kuma

今回の旅は三泊四日。土日を挟み前後二日間のお休みを有難く頂戴して出かけた旅程だが、松江にて一日を滞在に充てているので、最終日の夕方まで山陰本線に乗りつくす。しかも東京から全線普通列車を乗り繋ぐ事になる為、かなりハードな道行きになりそうだ。


さてそんな取っ掛かりから計画は実現に向けて進んで行ったわけだが、宿も押さえ、出掛ける直前になって少々気になる情報が飛び込んで来た。 曰く、「餘部鉄橋がこの夏に最後の化粧直しを行なう。」  ご存知の通り、海岸に建設されたこの鉄橋は潮風による腐食と日夜戦って来た。 それは開通3年後には既に最初の塗装工事が行なわれている事実からも明白だが、その架け替え前、最後の作業が行なわれるとの事なのだ。

調べてみると、私が訪問を予定しているその日も作業の真っ最中で、全部で11基ある橋脚のうち、2本が工事用の足場でスッポリと覆われている算段なのだった。 これは面白くない。 何故、多くの人が訪れるだろうこの時期に工事をぶつけたのか。 18切符のシーズンでもあるし、ここを観光する臨時の快速列車も運転を行なっている最中ではないか。 当初餘部駅で下車し、何本か列車を見送りつつ写真を撮ろうかと思っていたが、これは降りるべきではない、降りたくない、誰が降りるものか... と考えた。

しかし冷静になって想像してみるに、日本海からの風が吹き付けるこの場所で塗装工事の出来るのは今の時期しか無いのかも知れない。 しかもあんな高所での作業は、一歩間違えば人命にかかわる筈で、事実、建設時の作業者には高額な保険がかけられていた位なのだから、塗り替えの時期選びは慎重に慎重を重ね、条件の良い時に限られるに違いない。

それで、今回は下車を見送って車上からの探訪のみにする事に決めたが、気を悪くせずに、また次回下車する為に出かけて来るチャンスが出来たではないかという風に自分を納得させる事にした。 百間流だとこうだ。「止むを得なければ、止むを得ない」


鐵輪舎文庫

ButtonBack to Rail Page