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第二回:北海道 2011/04 Dummy

大正十四年の鉄道地図を探る

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「全國鐵道地圖」、3年を経てようやくの第二回目は北海道をご覧いただきましょう。 前回に倣って主要地域別にご紹介して行きたいと思いますが、その前にまずは全体図を見てもらった方が良いかも知れません。

どうでしょう?当時の北海道はこんな形をしていました。ってのはもちろん冗談ですが、日本列島を長方形の地図に収める為にこんなにも大胆に変形させてしまったのですね。 函館から先、渡島半島がギューっと曲げ伸ばされ、根室半島の先端が茨城沖の鹿島灘あたりにまで来ています。 時刻表巻頭でお馴染みの鉄道地図も結構変形していましたが、これはさらにその上を行っているといっても過言ではないでしょう。

http://hkuma.com/rail/railmap02.html#01

函館周辺

この当時青函トンネルは当然存在しませんから、北海道の玄関口は函館です。 が、地図にはその隣りに函館桟橋駅というのが記載されてますね。 これは青函連絡船と接続する列車のみ乗り入れる仮乗降場であり、運賃上は函館駅と同一扱いだったそうです。 函館から湯川へ向かって伸びる短い線路は函館市電ですが、この頃は函館水電という会社の経営、既に電車が走ってました。 五稜郭から分岐して上磯まで行くのは上磯線、今の江差線ですね。 のんびりした海岸沿いのこのルートを後に本州直通列車が走る事など、誰が想像していたでしょう。 大沼、森を経て長万部へと向かう函館本線、昭和に入ってから建設された砂原回りの別線はまだ見えません。 軍川駅と書かれているのが今の大沼駅、大沼駅と書かれているのは現在の大沼公園駅です。 長万部から先、海線の室蘭本線はまだ静狩までしか開通していません。 黒松内駅からは日本海側に向かって寿都鉄道が伸びてますが、地図では何故か「壽」の字が抜けて「都鉄道」になっちゃってます。

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苫小牧付近

このあたりの室蘭本線は北海道炭礦鉄道が敷設しましたが、明治39年に国有化されました。 この地図ではまだ東室蘭~静狩が結ばれていませんが、長万部~輪西(現東室蘭)間を結ぶ長輪線として国により建設されています。 登別駅から登別温泉へと向かっているのは登別温泉軌道。 この時代、温泉客目当ての路面電車は各地で見られましたね。 登別から二つ目に「知床」という駅が見えますが、これは今の荻野駅。 アイヌ語で「シレトク」は山の突き出した場所を意味するので、地名がダブるのも無理はないかも。 日高本線も国有化前で、苫小牧~佐留太(現富川駅)が苫小牧軽便、佐留太から奥が日高拓殖鉄道です。 沼ノ端から分岐する北海道鉱業鉄道は後の富内線になります。

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札幌近郊

札幌近郊では何と言っても白石から出ている定山渓鐡道。 後に電化されて電車が走るようになりますが、札幌駅へ乗り入れるために非電化の国鉄線用にディーゼルカーを誂え、自社線内は電車に牽引させて走らせるという特殊な運用をしていました。 南小樽から海へ向かっている短い線は手宮線で、ご存知の通り北海道で最初に開通した鉄道区間です。 石狩炭田に通ずる各鉄道も盛業の頃でしょうか。 ちなみにこの地図においては分岐駅のみが大きく表示されるような描き方をされていて、主要駅たる札幌ですら他の駅と同列で目立たない表現になってます。

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滝川・深川・旭川

滝川から下富良野(現 富良野)を経て狩勝峠へ向かう根室本線は既に形成されています。 この時代の狩勝越えはもちろん「日本三大車窓」と言われた旧線ルートです。 深川から増毛へ向かう留萌線も全通。 後に深名線となる雨龍線は深川~多度志間が大正13年開通なので、この地図の発行前年出来立てのホヤホヤです。 旭川ではかつて旭川電気軌道が電車路線を運用していましたが、昭和に入ってからの開通なのでまだこの地図には載っていません。

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道東方面

旭川方面から延びて来た石北線は上川から先、渚滑線に接続するような予定線が引かれています。 こんな計画もあったんですね。 野付牛(現在の北見駅)から上(池田方面)に延びる線路は網走本線と記載されていますが、後の池北線(ふるさと銀河線)ですね。 石北線が開通するまでは、こちらが道央と網走方面を結ぶメインルートだったようです。 釧路駅からは旧釧路駅の浜釧路と、天寧駅(こちらは貨物駅の筈?)へと短い線が出ています。 青線で引かれているのは雄別鉄道で旅客営業も行なっていましたが、何故か社名でなく「炭鉱鉄道」と記載されています。 釧路~網走間はこの時代まだ鉄道空白地帯ですね。

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道北地方

宗谷本線が稚内へ到達していますがこれは後の天北線で、音威子府から日本海側をショートカットする天塩線が開通するとそちらに本線の座を奪われる運命にあります。 その天塩線は既に南から幌延まで、北から兜沼まで開通済で、この間の未開通区間も工事が進んでいるようです。 稚内からは宗谷海峡を隔てて、樺太の東海岸と西海岸沿いに樺太廳鉄道(廳は庁の旧字)が記載されています。 留萌から日本海側を北上する羽幌線、浜頓別からオホーツク海沿岸を南下する興浜北線は共に昭和に入ってからの開通で、この時点では記載されていません。

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