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成田鉄道時代
国土地理院発行1/5万地形図
「成田」昭和9年(図左)/「八日市場」昭和9年(図下)

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 ■多古〜八日市場 

ここから先は当初から 1067mm軌間で敷かれた線区となるが、そのせいか、ほぼそのまま真っ直ぐな道路に上書きされてしまってあまり面白くない(写真28.)。ただ景色は開けており、右手遥か彼方まで広がる田園地帯の見晴らしは、都会ではなかなかお目にかかれないものだ(写真29)。下総吉田駅前には今に残る倉庫があると言うが、直線でスピードにのっていた為か見過ごしてしまった。この付近から徐々に丘陵地帯へと分け入り、道路脇には切り立った崖等も現れる(写真30.)。豊栄駅あたりは農協の敷地となっており、ここに並んでいる倉庫は後から作られた物だろうが、かつての駅前風景を彷彿とさせてくれた(写真31.)。その先はあまり脇目も振らず、ただ黙々とペダルを踏んで距離をかせいだ。

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28.国道296号
この区間、成田鉄道の線路跡は現在、国道296号となっている。どこまでも真っ直ぐに伸びているが、路面の波うちが目立つ。
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29.下総吉田駅付近
線路跡の国道から右手を見ると、見渡す限りの田園地帯だ。(※画面右が成田駅方面)
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30.下総吉田駅付近
道路の左手を見上げると、房総特有の風景、砂利採取等で残った切り立った崖が聳えている。
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31.豊栄駅跡
豊栄駅跡付近には農協が建つ。店舗と倉庫が並ぶ一画が、駅前の雰囲気を連想させてくれる。
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32.国道126号交差点
総武本線(向こうの陸橋)手前で国道126号に突き当たる。線路はこのあたりから左手へとカーブし、八日市場駅に向かった。
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33.合流点付近
スーパーの駐車場脇から伸びる、白い砂利道。このあたりが総武本線との合流点だろうか。

車の流れに身を任せて、ゆるいカーブを切りつつ八日市場を目指す。まだまだだろうと思っているうち、いつの間にか西八日市場駅跡も通過してしまい、目線の先に坂が現れると、もうそこは総武本線を道路が越す陸橋だった(写真32)。その手前の信号で左折して、今度は線路に沿って北東へと向かう。成田鉄道もここらで大きくカーブを切り、総武本線へと身を寄せて一緒に八日市場駅へと至ったのだろう。その合流点付近は現在スーパーの敷地になっているが、駐車場の外れからは細い砂利道が駅へ向かって伸びていた(写真33.)

線路脇の細道はやがて舗装道路となって、さらに駅へと続いて行く(写真34.)。その先、駅手前には細長い駐車場の敷地があるが、ここが成田鉄道のホーム跡のようだ(写真35.)。行く手に薄緑の跨線橋が見えて来ればすぐ、いかにも国鉄駅前という風情のロータリーに飛び出す(写真36.)。成田から遥々30.2km、ようやく終着八日市場の駅に達したが、ここから太平洋岸の九十九里浜までは、まだ小一時間ほど自転車を漕がなくてはならない距離だ。そう言えば成田鉄道は戦時中、南の島の鉄道(京成電軌が設立した国策会社、セレベス開発鉄道)に資材を転用するため廃止されたというが、遥々海を渡って行ったレール達は、今どこでどうなっているのだろう。

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34.総武本線脇
総武本線に沿って、廃線跡と思われる細い道が八日市場駅へと続いている。終着点はもうすぐだ。
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35.八日市場駅跡
駅前の月極駐車場あたりが、旧成田鉄道の八日市場駅ホーム跡だという。当時の国鉄とは構内で連結していたのだろうか。
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36.JR八日市場駅
JR八日市場駅は、旧国鉄の駅舎そのもの。跨線橋、便所と合わせて、ストラクチャ3点セットが揃う典型的な国鉄スタイルだ。

一息ついて、ささやかな充実感とともに自転車を袋に詰め込む。上りの普通まで何本か待合室で列車を見送ったが、往来するのはスカ色 113系や特急色 183系、まさしく国鉄型天下の世界。往日の風味を良く残す構内施設と相まって、時代をタイムスリップしたような感覚に陥ってしまう。時間が来てヨッコラショと輪行袋を担ぎ、古びた跨線橋の階段を登る。もうはや西に傾きかけている冬の太陽が、吹きさらしの窓から弱い日差しを投げかけていた。




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- 終わり -

参考:
  • 「地形図でたどる鉄道史」(東日本編) 今尾恵介 著
  • 「鉄道廃線跡を歩くIII」 宮脇俊三 編著
関連情報:

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