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 ■三里塚〜八街 

さて、八街線へと突入して早々袋小路に突き当たってしまい、迂回してその先へと行こうとするが、ここらは現在分譲中の住宅地で、真新しいしゃれた家々がお行儀良く並んでいる。道路も新しく碁盤の目のようになっており、それを追って行くとどんどんと廃線跡から離れてしまう。やっとそれらしきカーブの道に辿り着き(写真25.)、少し進むとそこはもう三里塚の交差点から西進して来た県道と交差する所、この付近に根古名の駅があったらしい。目の前に目印のコンビニがあるので位置的には間違いない。お腹もグーグー鳴り出したので、ついでにここでお昼の弁当を買い込んでおく。

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25.三里塚〜根古名
車も人も通行がまったく無い昼下がりの道。行く手の右カーブを曲がってもう少し行くと、根古名の駅だ。
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26.円形に並ぶ住宅群
見事なカーブを描いて立ち並ぶ住宅たち。この家並みのすぐ裏手にも、この道に対して同心円を描くもう一本の道路がある。

リュックにお握りを詰め込みながら、すぐそばにちょっと見て行きたいものがあったのを思い出した。廃線跡をしばし外れて県道を東へ、消防署の脇から斜めの道へと入る。その裏手に出ると畑地の風景が開けるが、そこを取り囲むように奇妙な二重の道が円弧を描いている。その二本の道の間は最初のうち緑地帯で並木が植わっているが、その先からは家並みが立ち並んでおり、まことに珍妙な景色である(写真26.)。家の表にも裏にも道路が走っており、しかもその道路は畑の真中あたりに中心を置いた正確な円を描いている。ここにはいったい何があったのか。地図には明治期の古い年代からこの円形の区割りが見えるので、何かの軍事施設跡というわけでもなさそうだ。

調べてみると、どうもこれは下総御陵牧場の馬の調教のために作られた馬場跡らしい。富里市広報の特集には以下の記載があったが、 地図上でこの周長を計測してみると、約1.6kmある。

「牧場内には軽便鉄道の路線や、1マイル(1,609m)馬場が三里塚と富里の両国地区にあり、春や秋には「草競馬」が行われるなどの光景も見られ、両国の県両総馬匹農業協同組合では、軍馬や農耕馬の種付などが行われていた。」
広報「とみさと」1999/11、特集「風の優駿」より引用 
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成田鉄道時代
国土地理院発行1/5万地形図
「成田」昭和9年/「東金」大正10年

その円形状に外接している小公園の芝生が気持ちよさそうだったので、ここでザックを降ろしてお昼とする。今日はあまり時間にゆとりが無いのでクッキングは省略だが、空気が少々肌寒いので、メタで食後のコーヒーだけは沸かして飲んだ。前の県道を、空港へと向かうのか大型バスがひっきりなしに通り過ぎて行くが、公園の中は親子が遊具で遊び、若い夫婦がパットの練習をしているというのんびりとした世界だ。実はこのすぐ近くに三里塚御料牧場記念館があって、ここには成田鉄道のコーナー展示もあるらしいのだが、事前のリサーチが足りなく、帰って来てからその存在を知った次第である。

そこから先は、県道の一本西側に並行して細い道が南北に真っ直ぐと貫いている(写真27.)。大きな蒼い空の下で彼方の丘陵は小さくうねり、周囲は北海道の原野を連想させるような景色。小さな雲が地上の私に影を落としてゆっくりと通過して行く。しかしこの道がなかなかに長い!しかもどこまでも単調な世界なんで、さすがにいいかげん飽きてきた。

と思ったあたりで私の気持ちを見透かしていたかのように道はカーブを描き始め、御陵の交差点を通過し、両国十字路へと至る。十字路のすぐ南側が富里駅になり、あたりはちょっとした街区になっているが、相変わらずひと気がなく、周囲はシンと静まり返っている(写真28.)。その先、両国栄町で道は分岐するが、ここの分岐点にはユトリロの風景画を連想させるような白壁の倉庫が建っていた(写真29.)

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27.ススキの穂と軌道跡
県道に平行して畑の中を走る軌道跡。道端で銀色に輝くススキの穂が、通過する私を見下ろしていた。
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28.富里駅はこの裏手
両国十字路を南へ抜けたあたりが富里駅。現在、付近には小さな郵便局が建つが、駅はその裏手のようだ。(※画面奥が三里塚駅方面)
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29.両国栄町先
軌道は真っ直ぐだが、道路は分岐して屈曲している。古い倉庫の建つ右手から伸びて来ている道が線路跡か?(※画面奥が三里塚駅方面)

ここから先、左右はどこまでも続く農耕地の風景だが、時おり適度なカーブを描いたり、一里塚のようなこんもりとした土塁が見られたり、このあたりは若干変化があって楽しませてくれる(写真30.31.)。そのうち車窓(!?)左手に小さな緑の植木が規則正しく並ぶ畑が続くようになる。最初のうち気にも留めずに流していたが、ふと止まって良くみるとこれがなんと出荷を待つクリスマスツリーだった(写真32.)

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30.気持ちのいい大カーブ
電柱の並びでそのカーブの加減が良くわかる。機関車もきっと、このカーブに沿った煙を残して走り去った事だろう。
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31.「塚」風の土盛りが見える風景
畑のど真ん中で二本の道が交差する。その片方の道に沿って続く小さな土盛りとその上の木立、場所がら野馬土手跡かも知れない。(※画面奥が三里塚駅方面)
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32.畑に並ぶ樅の木
シーズンを前に畑でスクスクと育っている樅の木。高さがキッチリと揃っているところが、立派な商品である印だ。

実の口は八街へと向かって最後の開業時駅になるが、道路裏の民家の庭先あたりが当時の駅跡か(写真33.)。さらに道は南下するが、徐々に疲労がたまって来て半分ぼうっとした頭の中で、先程から「ヨーイショ、ヨーイショ」というかすかな掛け声が聞こえている。どこかで遅い運動会でもやっているのか... でもその声はいくら走っても後ろへ遠ざからない... どころか、逆に段々と大きくハッキリと聞こえて来た。

すぐにその謎は解けた。やがて行く手の道路に腕章を付けた交通整理員が見え、その向こうでは小さな子供たちを中心としたお祭りの隊列が、八街駅の方へ向かってゆっくりと進んでいたのだ(写真34.)。中程では、担ぐほどもない大きさのミニチュアのような御神輿を、みんなで紐を伸ばして握り締めている。脇を通って列の前頭に回り込み、しばらくこの賑やかな、微笑ましい光景を眺めていた。

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33.実の口駅付近
交差点から来る斜めの道が駅入り口なので、この辺が駅前踏切のはず。(※画面左が三里塚駅方面)
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34.お祭りワッショイ!
思いがけず出会った祭礼の行列。身なりは上から半纏を羽織っただけの簡易な姿だが、気合は充分入ってた。
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35.八街駅跡
国鉄に隣接して設置されていた成田鉄道の八街駅跡。つい最近まで古い倉庫が並んでいたらしいが、訪れた時は更地になっていた。

さてまだ3時前とは言え、秋の陽はだいぶ傾いて来た。この先軌道跡は道路を右手へと外れ、徐々に斜めに分かれて行く。この区間、飛行場建設のためか、どうもそのものズバリという道は残って無いようで、結局途中でロストしてしまった。適当な道を選びつつ南下して行くが、八街駅へと向かう国道に突き当たった所は、かなり離れた場所に出てしまう事となった。とりあえずいったん八街駅裏へと出て、線路跡らしきものがないか探してみたが、結局何も見つからなかった。駅付近に並んでいたという古い倉庫もつい最近取り壊されてしまったようで、白茶けた更地に古びたコンクリの土台跡が長方形を描いているばかり(写真35.)。あきらめて踏切を渡り、反対側のJR八街駅改札へと向かうが、一転して駅前はお祭りの屋台と見物客の喧騒で、ちょっとした賑わいをみせていた。

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