国土地理院発行1/5万地形図 「成田」昭和9年/「東金」大正10年 |
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その円形状に外接している小公園の芝生が気持ちよさそうだったので、ここでザックを降ろしてお昼とする。今日はあまり時間にゆとりが無いのでクッキングは省略だが、空気が少々肌寒いので、メタで食後のコーヒーだけは沸かして飲んだ。前の県道を、空港へと向かうのか大型バスがひっきりなしに通り過ぎて行くが、公園の中は親子が遊具で遊び、若い夫婦がパットの練習をしているというのんびりとした世界だ。実はこのすぐ近くに三里塚御料牧場記念館があって、ここには成田鉄道のコーナー展示もあるらしいのだが、事前のリサーチが足りなく、帰って来てからその存在を知った次第である。
そこから先は、県道の一本西側に並行して細い道が南北に真っ直ぐと貫いている(写真27.)。大きな蒼い空の下で彼方の丘陵は小さくうねり、周囲は北海道の原野を連想させるような景色。小さな雲が地上の私に影を落としてゆっくりと通過して行く。しかしこの道がなかなかに長い!しかもどこまでも単調な世界なんで、さすがにいいかげん飽きてきた。
と思ったあたりで私の気持ちを見透かしていたかのように道はカーブを描き始め、御陵の交差点を通過し、両国十字路へと至る。十字路のすぐ南側が富里駅になり、あたりはちょっとした街区になっているが、相変わらずひと気がなく、周囲はシンと静まり返っている(写真28.)。その先、両国栄町で道は分岐するが、ここの分岐点にはユトリロの風景画を連想させるような白壁の倉庫が建っていた(写真29.)。
ここから先、左右はどこまでも続く農耕地の風景だが、時おり適度なカーブを描いたり、一里塚のようなこんもりとした土塁が見られたり、このあたりは若干変化があって楽しませてくれる(写真30.31.)。そのうち車窓(!?)左手に小さな緑の植木が規則正しく並ぶ畑が続くようになる。最初のうち気にも留めずに流していたが、ふと止まって良くみるとこれがなんと出荷を待つクリスマスツリーだった(写真32.)。
実の口は八街へと向かって最後の開業時駅になるが、道路裏の民家の庭先あたりが当時の駅跡か(写真33.)。さらに道は南下するが、徐々に疲労がたまって来て半分ぼうっとした頭の中で、先程から「ヨーイショ、ヨーイショ」というかすかな掛け声が聞こえている。どこかで遅い運動会でもやっているのか... でもその声はいくら走っても後ろへ遠ざからない... どころか、逆に段々と大きくハッキリと聞こえて来た。
すぐにその謎は解けた。やがて行く手の道路に腕章を付けた交通整理員が見え、その向こうでは小さな子供たちを中心としたお祭りの隊列が、八街駅の方へ向かってゆっくりと進んでいたのだ(写真34.)。中程では、担ぐほどもない大きさのミニチュアのような御神輿を、みんなで紐を伸ばして握り締めている。脇を通って列の前頭に回り込み、しばらくこの賑やかな、微笑ましい光景を眺めていた。
![]() 33.実の口駅付近 交差点から来る斜めの道が駅入り口なので、この辺が駅前踏切のはず。(※画面左が三里塚駅方面)
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![]() 34.お祭りワッショイ! 思いがけず出会った祭礼の行列。身なりは上から半纏を羽織っただけの簡易な姿だが、気合は充分入ってた。
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![]() 35.八街駅跡 国鉄に隣接して設置されていた成田鉄道の八街駅跡。つい最近まで古い倉庫が並んでいたらしいが、訪れた時は更地になっていた。
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さてまだ3時前とは言え、秋の陽はだいぶ傾いて来た。この先軌道跡は道路を右手へと外れ、徐々に斜めに分かれて行く。この区間、飛行場建設のためか、どうもそのものズバリという道は残って無いようで、結局途中でロストしてしまった。適当な道を選びつつ南下して行くが、八街駅へと向かう国道に突き当たった所は、かなり離れた場所に出てしまう事となった。とりあえずいったん八街駅裏へと出て、線路跡らしきものがないか探してみたが、結局何も見つからなかった。駅付近に並んでいたという古い倉庫もつい最近取り壊されてしまったようで、白茶けた更地に古びたコンクリの土台跡が長方形を描いているばかり(写真35.)。あきらめて踏切を渡り、反対側のJR八街駅改札へと向かうが、一転して駅前はお祭りの屋台と見物客の喧騒で、ちょっとした賑わいをみせていた。