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千葉県営鉄道時代
国土地理院発行1/5万地形図
「成田」大正10年
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成田鉄道時代
国土地理院発行1/5万地形図
「成田」昭和9年

 ■成田〜東成田 

東京駅から山手線で日暮里へ、そこから京成の特急に乗って約1時間で成田へと到着。駅舎には、つい先日開通した芝山鉄道を祝す横断幕が下がっている(写真1.)。この芝山鉄道、空港の地元見返り策として開通した曰くつきの鉄道だが、ゆくゆくは九十九里方面へと延伸の話もあるとかで、成田鉄道の再来となるのかも知れない。まぁ開通する見込みは、限りなく不透明ではありそうだが。

多くのタクシーが客待ちする駅前で自転車を組み立て、とりあえずはす向かいのJR成田駅へ。さすが成田山門前の駅構内は広く、多くの線路が離合しているが、考えてみると北へ3本、南へ1本の路線全てが「成田線」というのもまたちょっと不思議で面白い。これに成田鉄道が私鉄で残っていたとしたら、乗り換え案内はさぞや、ややこしい事になっていた事だろう。

さてその成田鉄道だが、我孫子へ向かう成田線を左に分け、銚子へ向かう成田線、空港へ向かう成田線(ああややこし)としばらく併走し、国道の陸橋をくぐった先あたりでゆっくりと右へ別れる(写真2.3.)。改軌後の線路はそのまま東へと離れて行ったが、改軌前の軌道敷はもうしばらく成田線と平行して北上を続ける。目的地からするとかなりの迂回路線だが、右手には小さな山がポコポコと地面に貼り付いているので、勾配をきらってこれらを避けたのだろうか。

成田裏駅跡を過ぎ(写真4.)一番北端の山まで来ると、路線はやっと右へ90度方向転換して、正しい進路へと向かい始める(写真5.)。目の前には現在巨大なショッピングセンターが出来ているが、線路敷は若干この駐車場あたりに食い込む形でカーブしていたようだ。ちなみにこのショッピングゾーンの裏手で成田線は空港方面へと分岐しているが、そのがっしりとした高架こそ、幻となった成田新幹線の桁を利用したものだ(写真6.)

※以下、特記以外の沿線写真は全て、成田から多古方面に向かって写す。
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1.京成成田駅
師走も近く、そろそろ京成電車本来の出番の時期が近づいてくる。駅前も何となく気ぜわしい空気。
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2.JR成田線に沿って進む
左は現在、銚子方面、空港方面の単線が二本並ぶ区間。当時は成田線と成田鉄道が並走していた。
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3.新旧線の分岐点付近
真っ直ぐ続く道は旧線跡、新線はこのあたりで右手へカーブして分岐して行った。
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4.旧線成田裏駅あたり
右手前方のこんもりとした小山の裾が、旧線経路の最北端。その先には...。
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5.旧線最北端
信号で交差するのが国道、その向こうで旧線は右に約90度カーブしていた。奥は昨今はやりの、郊外型大規模ショッピングゾーン。
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6.成田新幹線高架橋
地上3階建てのガッシリとした高架橋。現在は右手から2階部分に成田線が進入して来ている。

さて改軌前の線路はこの先完璧に国道に取り込まれてしまっているようなので、この辺で新線の方へとまわってみよう。旧線と分岐した新線は成田中学校敷地の裾を巻くように進み(写真7.)、築堤となって県道を乗り越すが(写真8.)、ここに沿線中唯一と言える遺構が残っている。そう、県道を越えていた橋梁の橋台、そしてその後ろには崩れかけながらも築堤が続いている(写真9.)。県道の反対側にも線路跡の土盛が見えるが、その上部には現在、住宅が立ち並んでいる。

その先が当時の西成田駅だが、駅跡付近には現在アパートが建つ(写真10.)。改札口を出たつもりでそこから正面を見ると、路地の向こうから成田山の仏塔がこちらを見下ろしている。これは昭和59年建立との事なので、残念ながら成田鉄道存在当時には無かった事になるが。西成田駅の少し先では、左手眼下に先ほどのショッピングセンターを望む事が出来る(写真11.)。この区間、旧線に比べて丘陵の上を走っているため、若干の標高差があるのだ。やがて徐々に下って行った新線は、成田国際文化会館の先で現在の国道上のルートをとって来た旧線と合流する。この合流点の少し先で、田んぼの中に線路跡が若干残っているのを見つけた(写真12.)。現在は農道として使われているようだが、雑草の刈り取られた路盤は秋の日を浴びて、歩いてみるとポカポカフワフワと暖かだった。

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7.成田中学校裏
右手の丘上が中学校で、線路は緑の工事用フェンスに沿ったあたりか。フェンスの左手は現在、大規模に宅地造成中。
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8.県道手前の築堤
県道より成田側に続く築堤。上部には現在、住宅が並んでいる。(※画面奥が成田駅方面)
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9.土屋の橋台
県道の多古側に唯一残るコンクリートの橋台。その後部にも築堤が続くが、右手の方は民家の庭となり、大きく抉り取られている。
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10.西成田駅跡付近
成田駅より東にあった西成田駅はこの辺のようだ。付近はかつて駅前であったとはとても思えない静けさに包まれている。(※画面奥が成田駅方面)
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11.サミット
この区間で二つほど丘を越えているが、その二つ目がこのあたり。左下方は先ほどのショッピングセンター。
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12.田んぼの中の路盤
新旧線が合流した先、田んぼの中に小区間残る路盤跡。古びた木製の電柱が一本、傾いてポツリと立っていた。(※画面奥が成田駅方面)

やがて根木名川が近づいて来ると東成田駅(写真13.)。駅跡は住宅が建てこんで定かでない。根木名川橋梁跡も河川敷が改修された為に何も残っていないが、渡っていたと思しきあたりの流れが若干乱れていたのが多少気にかかる(写真14.)。川の先は現在広々としたバイパスが走っているが、成田鉄道存在当時は当然ながらここに道路は無い。写真を撮った歩道橋の位置(写真15.)が、ちょうど線路の走っていたルートと一致するようだ。

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13.東成田駅付近
この付近は道の一本裏手を走っていたようなので、画面右手の空地奥あたりが駅跡か。(※画面奥が成田駅方面)
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14.根木名川を渡る
両岸は河川改修されているが、コンクリ漬けでなく緑の斜面なのが嬉しい。画面中央に上下真っ直ぐな線を引くと線路跡になる。
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15.バイパス歩道橋上から
国道51号(佐倉街道)のバイパスを歩道橋で渡る。この少し先を右折すると成田山門前、画面手前が空港方面に至る。
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