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越後線, 新潟交通

明けて二日目、今日も天気は良好である。 連泊なので不要な荷物は宿に残し、身軽になって駅へ向かう。 昨夜はアルコールの入っていたせいなのかも知れないが、萬代橋を往復しただけで大汗をかいた。 一方通行に規制された橋の歩道は欄干が低く、油断すると眼下の信濃川へ転落してしまうのではとも感じる人通りの多さであった。 早朝の新潟駅から越後線の古参115系に乗り、その信濃川を渡ると一駅目が白山。まだ乗ったばかりだが、一旦ここで途中下車する。

オブジェの様な近代的屋根構造のある駅前ロータリーを抜けて白山通りへ。 しばらく歩いて市役所前の歩道橋下を抜けると白山公園の前に着いた。 ここへやって来た目的はご推察の通り、新潟交通の白山前駅跡への謁見である。 このあたりは路面軌道だったので既に遺構もなく、現役当時を知らない私はその頃の姿を思い浮かべるのも困難だから、ネット上の写真を参考に妄想をたくましくする。 ここにあるトイレは当時の駅舎外観をイメージしているらしいから、それも一助とした。

photo 白山前駅跡は公園「一番堀広場」になった。向こうの建物は新潟市役所

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しばし当時の姿を想像しつつ感慨にふけっていたが、日が登るほどに暑くなって来た。 次の列車まで20分位になったのでそろそろ時間切れ、電柱に混じって架線柱でも残っていないかと気にしつつ、日陰を辿って白山駅へ戻る。 地下の改札からホームに上がり次の電車を待っていると、新潟方面から来たのはピカピカ新車の4両編成、E129系だった。

発車して次の関屋を過ぎると信濃川の分水路を鉄橋で渡り、しばらくは高台にある駅を繋いで行く。 越後線もこのあたりは新潟市内への通勤路線としての性格が強いのだろう、月曜朝なので駅毎の反対側ホームにはビジネスマンの姿が目立つ。 しかし、こんなローカル区間でも新潟行きが下り列車というのに少し違和感がある。 越後線は信越本線の支線で柏崎起点だから、そうなっているのだろうとは思うが。

新潟大学前駅を発車すると線路は高台から平野へと降り、さらに何駅か過ぎると左手は大きな窓一杯にどこまでも緑の絨毯が広がる清々しい景色となった。 右側の車窓にはこの平野と日本海の間に割って入る形で、弥彦山がその穏やかな山稜を見せている。 越後赤塚、越後曽根と越後線らしい名前の駅を過ぎると次は「巻」、大多数の乗客が降りてしまったので沿線では比較的大きな街のようだ。 身軽になった電車は快調に走り、左手から弥彦線の線路が寄り添って来るとまもなく吉田に到着した。

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柏崎方面はここで次の電車に乗り継ぎとなる。 5分乗り換えだが、目指す電車はホーム向かい側に待っているから問題は無い。 ここから再び115系だが、編成は2両と短い。 吉田を出ると弥彦線が右に離れてゆき、後は相変わらずの田園風景の中を淡々と走る。 しかし大河津分水路を渡り寺泊を過ぎると、線路は徐々に平野から山なみの中へと分け入ってゆく。 そのピークも抜けて再び平野部へと降りると刈羽駅へ着く。 「柏崎刈羽」の名で良くニュースで聞く場所だが、原発施設は右手の低い丘陵の向こう側に置かれている様で、電車からは何も見えない。 越後線自体も日本海沿いに走ってはいるが、線路は海岸線から少し離れている為、車内から海を眺める事は出来ないのである。

柏崎に着き、ここで信越本線の新潟行快速に乗り換え。 新潟から来て新潟行きに乗るのは不条理だが仕方がない。 さすが本線で快速は飛ばしに飛ばし、柏崎から来迎寺駅までは無停車だった。 来迎寺は越後交通長岡線が乗り入れていたのだが、それは後から調べて気づいた事で、従ってこの時はスルーとなった。 途中の長岡では一本電車を遅らせて構内の売店でお土産を物色。 新潟名物の「飴最中」というのが自ら珍菓と名乗っていて珍しかったので、これを一箱購入してみた。 帰宅してから食べたが、最中の餡の代わりに水飴が入っていて面白い食感。 だが、飴が糸を引くので唇に付かない様に食べるのに工夫を要する。

次の電車に乗り継ぎ、押切、帯織など少々珍しい駅名を見ながら数駅走って東三条へ。 ここで弥彦線に乗り換える事にするが、次の発車まで1時間以上待つ。 長岡で一本遅らせたのも、この待ち時間を多少なりとも短くする意味もある。 一旦改札の外へ、お昼も過ぎているので街で何か食そうかとも思ったのだが、出てみるとビルも見えず予想外に何もない駅前風景が広がる。 結局、例によって売店で買ったお握りを待合室でパクつくという、安定のスタイルとなった。