神戸電鉄

高速で通過駅の数々を飛ばした阪急電車は、三宮を発車すると地下へ潜って終点の新開地に到着。 ここではライバルの阪神電車も呉越同舟と、同じホームに肩を並べる。 これから乗る神戸電鉄も改札内で乗り換え可能だが、経由地の記録を入れておいた方が無難かと、一旦Suicaで改札を出た上で入り直す。

神戸電鉄の新開地駅は、阪急・阪神・山陽電車の着く本線系ホームとは直交する形で配置されている。 櫛型2面3線のホームへ入って行くと、先発と後発の電車が2本顔を並べて待っていた。 先発の旧型車も魅力だが、私にとってやはり神鉄と言えばこちら、ウルトラマン顔をした3000系の方に乗りたいから、一本見送る事にしてその先頭車に入り腰掛ける。

photo 市街地を抜けた途端にガンガン登り出す。この急勾配具合が画面から伝わるだろうか。

車内は空いていたが列車が地下線のトンネルを出たあたりで私は席を立ち、運転席後ろの窓へとへばり付く。 そこには先客として小さな子供が一人、発車時からずっとかぶり付きをしていた。 私が脇に立つとチラっとこちらを振り向いたが、すぐに視線を戻して前方を凝視している。 何しろいい大人でもこの線は楽しくてかぶり付きに充分値する。 神戸近郊の通勤路線ながら、六甲の山へと50‰もの急勾配を駆け登って行く山岳鉄道でもあるのだから。

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運転席後ろからの眺めは格別である。 前方はるか先まで見渡せるから、勾配の具合もつぶさに見てとれる。 カーブを曲がりつつグイグイ登ってゆくが、ここの勾配は本当に半端なもんじゃない。 しかしそれ以上に驚かされるのは、地形的にこんな山奥なのにどこまでも新興住宅地が切れない事だ。 山の斜面全体を、新しい建物が覆ってしまうように立ち並んでいる。 そんな住宅地も鵯越駅を過ぎると一旦姿を消し、車窓にダムが見えると長いトンネルで付替えられた新線区間に入る。

トンネルを抜け、ようやく坂を登り切って平坦な構内に達っしたなと思うと、そこが分岐駅の鈴蘭台だった。 しかしよく見ると一旦水平になった線路が、ホームを出た先では再び急角度で登り出しているではないか。 ほんとうに厳しい地形の中に、良くぞ線路を引いたもんだと思う。

鈴蘭台を発車すると粟生線(あおせん)を左に分け、有馬方面へと進む。 その粟生線は経営的にかなり厳しい状況のようで、粟生線活性化協議会なども発足されている。 相変わらず上り勾配は続くが一番急峻な部分はもう過ぎたようで、時おり下り坂に転ずる場所も出て来た。 地形的には山の上の方を走っているような事になるのだろうか、でも周囲は街が開けていてそんな事はあまり感じさせない。 小一時間ほど走ってウッディタウンへの分岐駅横山を過ぎると、もう次は終点の三田駅、同字で東京は「みた」だがこちらは「さんだ」と読むのである。

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ホームに到着すると結構な人数が降りた。 ここはJRへの乗り換え駅となっている。 一頻り電車やホームの写真を撮った後、改札に Suicaをタッチして通ろうとすると「ピンポーン」、またエラーだ。 有人改札へ行きカードを見せると、駅員さんは笑顔で「あぁ、これは使えないんですよ」と一言。 なんでも、この春から交通系ICカードは全国的に相互乗り入れとなったが、中小私鉄では完全には対応していない所も多く、神鉄も PiTaPaや ICOCAでは乗れても PASMOや Suicaは使えないという。

「すみませんが運賃は現金で、あと証明を書きますのでカードは使用可能駅で解除してもらって下さい」との事になった。 そういうわけだったのか、それで能勢電鉄の方もエラーになったのだ。 この時点でようやく今朝の事態が飲み込めた。 梅田の入構は阪急なので問題ないが能勢電鉄の下車駅では当然引っかかる、同様に新開地は阪神管理の駅だから Suicaが使えるが神戸電鉄は使えないのでこれまたエラーとなったという種明かしだ。

精算を済ませて手書きの証明書も貰い、すごすごと改札口を出る。 ここでは Suicaが役に立たない事が分かったので、折り返しは券売機で軟券を買って乗車した。 但しこのまま戻るのではなく、有馬温泉までは寄ってみよう。 という事で、乗って来た電車で再び有馬口駅まで戻った。

その有馬口駅だが、関東ではあまりニュースになっていないが、過去に何度か脱線事故が発生して構内配線を暫定修正している。 ニュースリリース(pdf)を見ると以前ダブルスリップを使っていた箇所が取り払われ、分岐機の数も単純化して減らしたようだ。 その影響で現在は有馬温泉へ直行する列車がなくなっており、ここから先は支線的な運用となっている。 というわけで、この区間を往復している電車に乗って有馬温泉へと向かう。

photo 有馬温泉駅で発車を待つ1100系。有馬口~有馬温泉間を繋ぐ一駅だけの区間列車だ。

有馬温泉まではわずか一駅、でもその間は結構長く、山深く緑濃い車窓が流れる。 最後に長いトンネルを抜けると温泉街の一角に突き刺さるように、電車は有馬温泉のホームへソロソロと進入した。 有馬温泉には国鉄の有馬線も来ていた筈だが、下調べをして来なかったので位置関係がよく分からない。 何れにしろ時間に余裕がなければ、所詮廃線探索など覚束ないわけであるが。

有馬温泉からは六甲をトンネルで貫く北神急行を経由して帰ろうかと思っていたが、切符トラブルでだいぶややこしい事になっているので、そのまま素直に神鉄で新開地まで戻って来た。 新開地では切符を自動改札に通して出場、すぐにそれを見ていた有人改札の駅員の所へ行き、証明書を渡して Suicaの入場履歴を解除してもらった。 事情を話し始めると駅員さんが「あぁ…」とすぐに笑顔で理解してくれたのは、きっと同類が多いためだろう。

山陽電鉄

さて次は山陽電鉄に乗る段だが、少々心配になってきた。 さすがに山陽ともなれば Suicaは対応してるだろうと考えたが、念のためネットで検索をかけてみて驚いた。 何とここも使用不可という答えが出ていたのだ。 仕方なく切符を買うが、これでは今朝ほど大量にチャージした Suicaの意味が全くなくなってしまった。 家には ICOCAもあったので、むしろそちらを持参すべきだったようだ。

photo 直通特急に充当される山陽電鉄の車両 5000系3次車(阪神梅田駅にて撮影)

今日は昼食時間を考慮していないので、改札外のコンビニで例によってお握りを調達。 旅情も何もあったもんじゃないが、地下ホームベンチで電車待ちの間にそそくさと腹に収める。 待っていると地元人と勘違いされたのか「ここから山陽電車に乗れますか?どんな色の電車です?」と旅行者風の男性に尋ねられた。 「次が山陽姫路行きなので、山陽電車ですよ」と答えたが、新開地は確かに色々な電車の集まる場所だ。

しかし、やがてやって来た直通特急は阪神の赤胴車、いやこの形式は上半分が赤い新塗装なので赤胴とは言わないのかな?  まぁ姫路方面へ行きたいという意図の質問だったろうから、別に阪神車でも山陽電車という事で構わないのだとは思うが。 クロスシートに落ち着き、この先は乗車時間がそこそこ長いのでジックリ車窓を楽しむ事としよう。 電車は地上へ出ると街中を抜け、やがて左手にうっすらとした水平線の海の景色が広がり出した。

私はいい気分で多少ウツラウツラしつつ、車窓をボンヤリと眺めていた。 何気なくポケットを探り、ハッと気づいたのは次の停車駅、山陽須磨が近づいていた頃。 そこにしまっておいた筈の切符が無いのだ。 あちこち弄り、リュックの中や座席の下なども確認してみたが見当たらない。 きっと新開地駅のベンチで、一緒にポケットに入れていたスマホを出し入れしてるうちに落としたのだ。 何という浅はかさ、昨日に続き又やってしまった。 電車は徐々に減速し、山陽須磨駅のホームに滑り込んだ。

私はきっとはたから見たら多少青ざめた顔で電車を降り、とりあえずもう一度確認してみようとベンチに腰掛けた。 ホームの後ろには家並みの間から海がチラリと見え、遠く潮騒の音や海水浴客の喧騒も聞こえるようだ。 海水浴場へ向かうらしき親子連れが何組か降りていった後、ガランとしてホームには誰もいない。 やはり無い。 どうしよう、新開地まで探しに戻る?でもそれでは不正乗車になってしまう。 ここで事情を話して一旦下車するか?  結局出した結論は、このまま姫路まで行って下車時に申告して精算する事だった。 おそらく切符分の再支払いになるだろうが致し方ない。

しかし幼い子供でもあるまいし、この歳になって切符をなくすとは何だか情けなくてショックだ。 小学校低学年の頃、電車に乗ると私は一人前に切符を自分で持ちたがった。 親には「なくさないようにね」と言われ、ポケットの中で必死に硬券を握りしめていた。 その後長じて一人で電車を乗り歩くようになっても、切符なんか無くした事はなかった。 用心深い私は、電車に乗れば常に意識の底に切符があった。 だが最近はICカード化で、切符を買って持ち歩く機会自体がなかったので、つい油断してしまったのだ。 指定券や18きっぷ等の大きいサイズの物は使っていたが、ズボンのポケットに入らないので常々リュックに入れていたから大丈夫だったのである。

題名を忘れたが、こんな幻想小説を読んだ事がある。  …ある日、少年が電車に乗って、我が家のある最寄り駅に帰って来た。 一人で電車に乗れた事が嬉しくて気分は高揚している。 跨線橋を渡って改札が見えてくる頃、ポケットを探ってギョッとする。 切符がない!どうしよう、このままでは駅から出られない。 オロオロしつつ、誰か知り合いにこの状況を見られては大変と、跨線橋下にある物置小屋に隠れる。 するとそこには、同じように切符をなくした子どもたちが、過去からずっと累々住み着いていたのだ。 そしてその日から少年もその一員となった。 ぼくは一生ここで暮らしてゆくのだ…  そんな話を思い出した。

photo 瀬戸内海を眺めながら山陽本線の新快速と並走。天気は晴れても気分は晴れない。

後発の特急に乗り、席に深く身を沈める。 そのうちに山陽本線より一段高い崖上を走るようになり、瀬戸内海の眺めがすこぶるよろしい。 車窓に明石海峡大橋も流れて行き、このあたりは沿線中、最も山陽電鉄らしい景色の展開する区間だろう。 だが心に一つ引っかかるものを抱えた私は、やはりどうも心底からそれを満喫出来ないのだった。 途中で車掌さんがやって来たので事情を話してみたが、車内では処置出来ないので下車時に駅長室へ行ってくれと言う。 その「駅長室」という言葉が何だか審判を受けたようで、私をまた暗澹たらしめるには充分だった。

須磨から40分程走って電車は飾磨(しかま)駅に停車、ここから支線の網干線が分岐している。 本来ならこの線を終点まで往復して来る計画で、切符もそこまでの金額で買っていた。 しかし心理的に余裕がなくなったので、今日はこのまま姫路まで行くとしよう。 飾磨を発車して右90度の大カーブを過ぎれば、もう終点は近い。 左手にモノレールの眠る手柄山を眺めつつ新幹線、そして山陽本線の下を潜ると終点の山陽姫路に着いた。 私はホームに降り、乗客の列が一段落した頃を見計らって改札へ行き、その前に立っている駅員に事情を話すと、「そうですか、ではこちらへ」と駅長室に招き入れられた。

… と思ったが、そこは冷房が効いて別室のように仕切られた有人改札であった。 「良くお探しになりましたか?」不正乗車を疑われてもしょうがない状況だが、対応は柔らかで至って丁寧である。 「では、申し訳ありませんが運賃を別途お支払い頂く事になります。それからこちら紛失証を書きますので、後から切符が出て来たら、お持ち頂けましたら払い戻し致します。」 梅田あたりから来たと疑われたらどうしようかと心配していたが、申告通り新開地からの料金で済んだ。

というわけで、無事改札内から生還を果たしたのだ。 少々大袈裟であるが、私としてはホッとしてそんな気持ちだ。 駅ビルを出るともう既に午後の日は多少傾きかけて来ている。 時間があれば姫路市内でも歩いてみようかと思っていたが、どっと疲れが出てもうそんな気にもならなかった。 思えば昨日の阪堺線で乗換券をなくしたあたりから、一連の切符にまつわるアクシデントの連鎖が始まっていたようだ。 そんなわけで小心者の私はこの区間、写真もろくに撮っていない。

駅前を歩いて JRの姫路駅へ行き、この日初めて18きっぷを使って改札内に入る。 ホームへ上ると姫路始発の新快速大垣行が待っていた。 迷うことなくそれに乗って、窓側の席を確保して座り、大きく深く溜息をついた。 今日はこれから大垣まで行ってさらに乗り継ぎ、岐阜駅前にて宿泊の予定。 それは明日からの壮大な帰路に備えての事だが、来る時に新幹線という手を使ってしまったので、資金上、帰りは18きっぷ旅で節約せざるを得ないのだ。 だからこの切符だけはなくしてはいけない… 絶対に。 そう思いつつ、いつにも増して大切に、リュックの中へと仕舞い込んだ。