能勢電鉄

2日めの今日は、大阪から北西方向へとあちこちの電車を乗りつないでみる。 それらの地域を総称して何地区というのが適当か私には分からないが、川西、宝塚、西宮、神戸等を経て最終的には姫路まで行く予定。 その辺が脈絡庵の面目躍如たる物があるといった所だが、今日のターゲットは昨日ほど多くなく、数的には約半分だから若干遅目の朝寝坊スタートとなった。

今朝の乗り始めは阪急の梅田駅。 京都・神戸・宝塚各本線のマルーンの電車がズラリと頭を並べた光景はもうお馴染みだろう。 梅田の地下街を多少迷いつつ、エスカレーターを上って梅田駅を目指す。 そうそう、ここではエスカレーターは東京と逆ルールなので、左側でボンヤリしてる(私は歩かない派)と顰蹙をかってしまうので要注意だ。 上った先には動く歩道も待っている。 駅拡張に伴い大阪駅から離れてしまう際に、乗換客の便宜を図る為に1967年に設けられた日本初の物だそうだ。

photo

 

PhotoPhotoPhotoPhoto

駅に着き、まずは本日一日使う予定の Suicaに券売機で3000円程しっかりチャージ、改札を入って4号線の急行宝塚行きに乗車する。 阪急では乗り場を何番ホームでなく何号線という呼び方をするのが、ちょっと独特で新鮮な響きである。 定刻発車、ホームを覆う屋根の下を出ると天気は晴天快晴、今日も日中は暑くなりそうだ。 阪急名物の3複線で淀川を渡り、十三(じゅうそう)駅で線路はそれぞれの行き先に分かれて行く。 私の乗った宝塚本線は、左に神戸、右に京都本線を分けて、その真ん中を高架へと駆け上がる。

この宝塚本線は阪急電車のルーツとも言える存在で、鉄道敷設とセットで沿線を宅地開発した当時ユニークな経営手法は良く知られている。 これから向かう川西能勢口の手前にある池田もそんな街の一つで、鉄道会社の建設した分譲住宅地としては日本最初のものという事である。 私はこの路線も初乗りなので、席に座りながらも車窓を興味深く目で追っている。 箕面(みのお)線の分岐する石橋駅はホームが扇型に広がっていて、関東の私鉄ではあまり見かけない形態なので面白いと思った。

川西能勢口に到着、この駅で本日最初のターゲット、能勢電鉄へ乗り換える。 3面ホームで乗り場が1~5号線まであるとても大きな高架駅である。 隣のホームではこれから乗る日生中央行きが既に発車を待っていた。 阪急の車両を貰い受けてほぼそのまま使っているので、見かけは由緒正しい阪急電車そのものだ。 能勢電は阪急の子会社なのでその辺は自然な流れ、かつての京成と新京成のようなものかも知れない。 妙見山への観光客輸送の他、沿線の工場で製造される三ツ矢サイダーを貨物輸送していたという点もユニークだ。

photo 川西能勢口駅で発車を待つ日生中央行き普通列車。天神祭のヘッドマークを付けている。

発車して高架を降りると電車は宝塚線を離れて北へ向かって進む。 車窓は都市近郊の住宅地を行く郊外路線という感じか。 だが北郊の山へ向かって徐々に勾配を登っているのは、何となく周囲の気配で察せられる。 それは山下駅で妙見口行きに乗り換えると、さらに如実に体現出来る。 ここで乗り継いだのは1500系の50形復刻色、50形は廃止された川西能勢口~川西国鉄前間を最後まで走っていた車両だ。

山下はその名の通り山の下の駅?、ここからは単線となってグッと勾配を増した線路を、右に左にカーブを繰り返しながら終点の妙見口駅を目指して登って行く。 ここまで来ると結構な山岳路線であるという事を実感するが、間間にニュータウンの玄関口としての駅もいくつか設けられている。 緑の中をしばし登り続けた電車はようやく終点の妙見口に辿り着き、ホームへとゆっくり収まった。 乗って来た人々は、私が電車やホームの写真を撮っているうちに先に改札の外へと出て行ってしまった。

さて自分も出ようとして改札にタッチすると、「ピンポーン」とエラー音が鳴って通せんぼされてしまう。 ありゃ、残金が足りないのか?でもおかしいな、梅田駅で今朝、今日一日の為に多めにチャージして来た筈なんだけど。 そう思いつつ精算機の所へ行き残金を確かめようとカードを入れると、「このカードはお取り扱い出来ません」と出た。 ニッチもサッチも行かなくなり、仕方なく呼び出しボタンを押す。

出てくれた職員さんの声に Suicaで乗った旨の事情を話すと、「では斜め後ろにある筆談機で処理しますので、お手数ですがそちらへ」との事。 どうもこの駅は駅員が配置されておらず、遠隔で対応してもらっているようだ。 結局、対話端末でカメラ下のテーブルにカードを置き、そこで遠隔操作で精算処理をしてくれた。 「料金を引き落とさせていただきましたので、そのままお通り下さい」というわけで、やっと駅の外へ出る事が出来た。

photo 妙見口駅に到着。周囲は山に囲まれている。駅前には食堂が2~3軒ほどあるのみ。

この時はまだ特にエラーとなった説明がなかったので、たまたま改札機とカードの相性が悪かったのか?ぐらいの軽い気持ちでいた。 乗ろうと思っていた折り返しの電車はもたもたしてるうちに行ってしまった。 駅前にはこれからトレッキングにでも向かうのであろうか、スポーツウェアの一団が出発の準備をしている。 この先の少し離れた所から妙見ケーブルも出ているが、私は上まで往復して来るような時間的余裕もないので、ホームに入って次の電車まで写真を撮りながら待つことにする。 さすがに再び Suicaで入るのは少々不安に思い、とりあえず阪急に出るまでの能勢電鉄線内は切符を買う事にした。

妙見口から再び急坂を下り、こんどの電車は川西能勢口へ直行するダイヤだったのでそのまま終点まで座って行けた。 川西能勢口ではSuicaで入り直す為に一旦改札を抜ける。 そこにコンビニがあったので、移動中の腹の足しでもと物色していると「禁断のラムネ」なるものを発見。 ちょっと興味をおぼえて買ってみたが特に怪しい効能があるわけでもなく(笑)、これはラムネ味のチョコレートだった。 駅前に出てみたが、予習をして来なかったので国鉄との連絡線跡等は分かる筈もない。

やって来た急行に乗り終点の宝塚を目指す。 周囲は徐々に開けて来て、再び高架上を走り出す頃には電車はお洒落な建物の立ち並ぶ街なかへと入って行った。 次に乗る今津線の高架が左手から寄り添って来ると終点の宝塚に到着。 乗換1分という微妙なタイミングだが、電車は同一ホーム向かい側に待っているので心配の必要はない。 せっかく来た宝塚だが、ここもこのまま通り過ぎるというわけだ。

阪急 今津線

「阪急電車」という小説をご存知だろうか。 有川浩氏の著作で後に映画化も行われ、私もテレビで放映されたのを見たことがある。 阪急のとある支線の駅ごとに散りばめられた乗客たちのエピソード、最初それぞれは一見無関係だが、エンディングに向けて徐々にストーリーが繋がってゆく。 それが「阪急」というネームバリューのある電車とその沿線の温かみのある街々を織り込む事により、独特の世界観を創り出している。 その舞台となったのが、この今津線なのである。

宝塚駅では発車直前の乗り換えとなったが、入ってゆくと車内は既に乗客で混雑しており、仕方なくつり革につかまって外を観察する事にした。 無理すれば座れない事もなかったが、こういう場合、折悪しく目の前に立ち客が来ると視界を覆われてしまうのでアウトだ。 大勢の客を詰め込んだ電車は、発車すると意外と身軽な走りでスルスルと加速して行く。

photo 阪急電車伝統の鎧戸式日除け(この写真は能勢電鉄車内のもの)

線路の走っている場所は段丘の崖下のような感じもするが、地形的にはどうなんだろう。 なにしろ、車窓片側は日差しが入って来るので阪急名物鎧戸状の日除けが上がっており、外が見えない。 雰囲気としてはハイソな沿線?の、井の頭線と似たような空気も感じる。 冗談か真か、大阪では地下鉄の駅で待っていると、電車が着くより先にワイワイガヤガヤと車内の乗客がしゃべる声の方が先にトンネル内に聞こえて来る、という話を地元の人から聞いた事がある。 いや、それはさすがにお得意の自虐ネタだろうが、今津線の車内は人が多いわりに、大阪の街中の電車より気のせいか一段静かなようにも感じた。

電車は律儀に停車しては発車を繰り返す。 臨時を除き、各駅停車しか走らないこの線区なので当然である。 それぞれの駅は概ねシンプルなもので、小奇麗に作られているがホームなどは敷地の関係で狭めなようだ。 駅々で乗客を拾った電車は、終点の西宮北口駅へ着く頃にはちょっとしたラッシュの車内となった。 プシューっと音を立てて停車し、ドアが開くと人々は小走りにホームを前方に進んで行く。 ここから神戸や梅田方面へと電車を乗り継ぐためである。 以前は神戸本線と今津線が平面交差していたこの場所、阪急名所のダイアモンドクロッシングの光景を見てみたかったものだ。

私も一旦階段を使って雑踏する橋上駅舎の広い通路にあがり、今津線と直交する神戸本線のホームへと降りる。 ちょうどそこへ特急の新開地行きが滑り込んで来て、人波に流されてそのまま電車に乗り込んだ。 入って来たドアの方を振り向く形で体を落ち着かせ、つり革にぶら下がる。 ホームの向こうには今津南線との連絡線が走っている筈だ。 今は分断されているそちらの線もまた乗りに来なければならないな。