竹鼻線

折り返す電車でそのまま名鉄一宮へ戻り、名古屋本線で広い河川敷の木曽川を渡って笠松へ。 次は岐阜県を走る竹鼻線に乗る番だ。 ここも乗車したのはローカル線区らしい2両の短い編成だが、ワンマン運転は行われていない様である。 いやしくもその末端で新幹線に接続する路線としては、それなりの面目を保っておきたいと言う事なのかもと邪推したくなるが、一部の列車は本線の名鉄岐阜まで直通しているのでその関係なのだろう。 新幹線の岐阜羽島駅とJR岐阜駅の間を繋いで連絡する鉄道の役割を、名鉄の小さな支線が担っているというのもなんだか皮肉っぽくて面白い。

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竹鼻線 南宿駅
電車最前部から覗いていると、対向列車がやって来た

車窓は相変わらず変化も少なく平凡な郊外風景だが、線路周辺を見る限りこちらはこれまでの路線より若干建物が多い様にも思える。 途中駅での乗降も割合活発であったが、羽島市役所前駅を過ぎると車内はガランとして来た。 次の江吉良(えぎら)駅で竹鼻線は終わりだが、かつてはその先にも路線が延びており、運転室の窓を通し、その真っ直ぐな廃線跡が前方に続いているのを確認する事が出来た。 終点は長良川べりの大須という場所だそうであるが、廃止2001年と16年ほどしか経っていないので、航空写真等を見てもその痕跡は全線に渡り明瞭に残っている。 電車は廃線跡を左手に分け、右にカーブしてここからは羽島線に入る。開通当初は竹鼻線から分岐する支線であったが、今はこうして一体化しているわけだ。

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江吉良駅
正面に竹鼻線廃止区間の路盤跡が見えている

羽島線はわずか1.3kmで1区間だけ、大手私鉄の鉄道路線としてはかなり短い方の部類であろう。 急坂を昇って高架上に出れば、左手からは新幹線の線路が見えて来てもう終点の新羽島駅に到着する。 近年、名鉄の「新」が付く駅名は「名鉄××」に置き換えられる事例が多いが、ここは今でも「新」のままである。 改名するのは新幹線に多い「新××」駅と間違わない様にとの配慮からだそうだが、ここでは新幹線が「岐阜羽島」駅なのだから、その必要性が無かったという事だろう。 そもそも新幹線に接続する駅なので、そう間違われても問題ないという理屈も成り立つ。 ホームは1面1線のシンプルなものだが、過去に過走事故があったようで、車止めへの衝突を予防する為か、かなり手前に停車した。

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新羽島駅
左が新羽島駅、右手は新幹線の岐阜羽島駅だ

チラホラと降りた客に混じってホーム先端から長い階段を下り、こじんまりした無人改札を抜ければ、そこは岐阜羽島駅前の広場である。 振り返って今出て来た新羽島駅を外から見上げると、ホームへと登る階段はなんだか遊園地のコースターか何かの搭乗口の様にも思える。 羽島線の高架橋もかなり立派な造りで、一見するとここまで高くする必要はなさそうだが、これは新幹線の桁と高さを揃えた結果なのだろうか。 駅前には駐車場とビジネスホテル位で商業施設も無く、東海道新幹線開通から50年以上を経ても未だに閑散としている。 だが、いい機会だからと入った岐阜羽島の駅構内は土産物店が買物客でごった返し、大いに賑わっているのが予想外であった。

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新羽島駅
笠松へ戻る電車は久々の赤くない車両だった

名古屋本線

羽島線は15分ヘッドの運行なので、それ程待たなくても乗れるのが助かる。 1本後の電車で笠松まで戻り、本線の特急に乗り換えて名鉄岐阜を目指す。 この時に今回初めてフリー切符の特別席特典を活用したが、さすがに居心地良く快適に過ごせ、クセになりそうである。 だが笠松からは次がもう終点岐阜なので、満喫している時間のあまりないのが残念であったが。 岐阜駅到着はちょうどお昼時、コンビニお握りばかりでなくたまには店にでも入るかと、駅ビル内を探したがあまり好みのご飯屋は見つからない。 寒いから外にも出たくないし、という事で構内にあった焼き立てパンのカフェが良い雰囲気で惹かれ、そこへ入ってみた。 熱い珈琲にクロワッサンとふっくらしたカレーパン… はとても美味しいのだが、その中身がカレーに比してほぼ空気が占めているのは少々いただけなかった。

さて食後は最後のターゲットとなる豊川線であるが、名古屋本線の西端から東端まで大移動しなければならない。 効率はまことによろしくないが、その分じっくりと乗車出来るという事で、ここはやはり快速特急の特別車をチョイスするしかないだろう。 豊橋行きならおそらくパノラマsuperであろうと時間を合わせてホームへ行くと、予想通りそこには、ハイデッカー構造の展望車を先頭とした1000系が降り出した氷雨の中で出発を待っていた。 初めての乗車にワクワクしつつ、ドアを入って階段を登る。 日曜昼間という事で混雑を心配していたが、そこに着席していたのはグループで来ているらしい学生風の数名のみである。

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名鉄岐阜駅
岐阜駅で発車を待つ1000系「パノラマsuper」

私は車内の雰囲気を味わいたいので、展望室の最後部席に落ち着いた。 先に来ていた彼らも、会話の内容と何となく見た感じから、おそらく私と同じフリー切符での乗車と思われる。 面白いのは全員がバラバラに散って座っているが、空いている最前部の席に誰も行こうとしない点だ。 それはきっと、通常の指定券で乗って来る客に対しての遠慮もあるのかも知れない。 フリー切符は昼間の特別車に乗れるが席は指定出来ない、そこへ指定客が来た場合は、その時に席を空ければ良いというルールにはなっているのだが。

発車してしばらくすると、車掌氏が検札にやって来た。 少々緊張しながらフリー切符を見せると、「はい、ありがとうございます。一応、行き先を伺いたいのですが」と来た。 そういう質問をされるのは想定外だったので、ドギマギしながら「あ、えー、とっ豊橋…、じゃない、豊川稲荷へ行きたいのですが」と答える。 「では、国府駅に停車しませんので、東岡崎でお乗り換えですね。あるいは豊橋まで行かれて逆戻りか、JRの飯田線という方法もありますが、どうなさいます?」 「あ… はい、えーっと…、じゃぁ東岡崎で乗り換えます」

別にフリー切符なので気分次第でどこへ行っても自由だろうと思ったが、おそらく乗客の行き先を把握し、指定客と席がぶつからないかを確認する意味もあるのだろう。 ライバルである飯田線まで選択肢に入れるのはなかなか誠実だが、飯田線が豊川鉄道だった一時期には名鉄グループ傘下にあった経緯もあり、また今でも豊橋付近の線路をお互いに共有している仲である。 ともあれ、初乗車の展望席は大変エキサイティングな体験であった。 普通に走っている分にはあまり実感がないが、駅に停車した時、すれ違う列車を見下ろす時、トラスの鉄橋を通過する時、そして名鉄名古屋の地下トンネルへと突入する際にも、視点が高いのでかなりの迫力を感じられた。 天気は雨だったが、大窓を流れて行く雨滴が高速感をさらに増している。

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1000系特別車展望席
木曽川を渡る快速特急豊橋行きの車内

名鉄名古屋での乗降はあまり多くなく、むしろ次に停車した金山駅で大量に客が乗って来て特別席もほぼ満員になったのは、やはりJRとの乗り換えが便利なのが大きいようだ。 ずっと空いたままだった最前部の席も、ここでようやく一通り埋まる事となった。 だが、そこに座ったうちの一人(ちょっと酔いどれ風な中年のオッサン)は、車掌が検察に来て何か会話した後すごすごと出て行ったから、ミューチケットを買わなかったとみえる。 次駅の神宮前を発車すると快速特急はそこからしばらく無停車だ。 名古屋本線は過去に何度も乗って往来しているがこうして前面展望を拝むのは初めて、新鮮な景色を楽しみつつ、疾走する電車にしばし身を任せた。

実際には私は東岡崎でなく、その手前の知立で乗り換えた。 経路検索に従ったまでだが、そう出る理由は乗り換える列車が始発駅なのかな?とも思ったがそうでも無かった。 ならば特別席をもう1駅分味わった方が得策だったかも知れない。 しかし、特別車からホームに降りると大体どの駅も屋根が無いのは雨天時にはちと辛く、先頭車だから仕方ないのだろうが、有料客へのおもてなし的にいかがなものか。 知立駅でしばし待ち、後から来た2分遅れの急行に乗り継ぎ、遅れ挽回で飛ばしに飛ばして豊川線の出る国府駅へ。 国府と書いて「こう」とは、地元以外の人間には少し難読かとも思えるが、考えてみると私が高校時代に通っていた駅は「国府台」(こうのだい)だ。 四国には「府中」と書いて「こう」と読ませる超難読駅もあるそうだから、それに比べたらまだ平易な方だろう。

豊川線

急行が遅れて乗り継ぎ時間を気にしていたが、国府駅ホーム向かい側には乗り換える電車が待っており、心配する必要はなかった。 ところで、豊川線は豊川稲荷への参拝客目当てで敷設されたのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。 戦時中、諏訪町に海軍工廠が築かれたため、軍事物資と通勤客を輸送する目的で開通させたものとの事である。 戦時下に他線の資材や車両などを流用し、突貫工事で完成させ運行を開始した軍需路線なのだ。 開通当初は国府~市役所前(現、諏訪町)までであったが、戦後になって稲荷口そして新豊川(現、豊川稲荷)へと延伸された経歴を持っている。 ちなみに海軍工廠の敷地跡はのちに陸上自衛隊の豊川駐屯地となり、また一部は日本車両の豊川製作所として使用されている。

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国府駅
乗り換える豊川線は2両編成のワンマンカー

国府駅で乗り換えた豊川線の電車は、2両編成のワンマンカーで単線を行く。 ここは軌道法により敷設され今も戸籍上はそのままらしいが、もちろん貧弱な線路なんて事は全くなく、名鉄の他路線と同じくしっかりした乗り心地である。 次の八幡あたりは繁華な場所のようで高架駅、ここでしばらく停車して列車の行き違いが行われた。 八幡を発車すると高架を降りて諏訪町、稲荷口と停車し、しばし揺られれば終点の「豊川稲荷」駅に到着する。 ホームは島式1面2線で、その一番先端に駅舎が付くタイプだ。 さすがに門前町の終端駅だけあって、改札も間口が広く大きくとられている。 そこを出ると目の前はロータリーで、すぐ右手に飯田線の「豊川」駅が仲良く軒を並べているのであった。

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豊川稲荷駅
右奥手が名鉄の豊川稲荷駅、左はJRの豊川駅

岐阜からの移動でだいぶ時間を使ったが、ここまで来たからにはお稲荷さんにお参りしなくてはという事で、折り畳みの傘を開いて雨の中をトボトボ歩き出す。 駅からは5分位の距離で、途中アーケードもあり雨は大して苦にならないが、何しろ寒さが身にこたえる。 境内は露店も並んでいて人混みも多く、大変活況を呈していた。 こちらは一般的に豊川稲荷と呼ばれていて鳥居もあるが、実は神社でなく「妙厳寺」というのが正式名称で、境内にあるお稲荷様の方が有名なため実質的な呼称になっているのだそうな。 入り口から山門を潜るとその寺院としての本堂が正面にあり、そこから左手へクランクすると、大変大きな建物の本殿に至る。 多くの人の列に続いて参拝し、家族と自身の健康を祈り、この日の旅程はこれで完とした。

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豊川稲荷
豊川稲荷の本殿はとても大きく聳え立つ

帰路も特別席を堪能しながら楽をしてホテルへ帰ろうと目論んでいたのだが、時間を見ると既に16時を回っており、特典の有効時間内を過ぎてしまっている。 というわけで、特急には乗ったものの一般車に立ちんぼうで日曜夕刻のちょっとしたラッシュに揉まれながら、疲労困憊で名古屋まで戻って来たのであった。 宿に着き、風呂に入って食事も済ませ、ようやく人心地がついた次第である。 夜のおやつには、帰りに豊川稲荷駅ホームで売っていた知立名物「大あんまき」を美味しくいただいた。 寝しなに下の大通りを覗くと、寒さでにじんだ窓ガラスを通し、大通りのイルミネーションが、正月明け深夜の明滅をまだ繰り返しているのが見えた。

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切符と大あんまき
知立名物「大あんまき」は豊川稲荷駅でゲット
(おわり)