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kumamoto nise ahou train  [ ensyo no higoji ]

熊本の一夜が明けてそろそろ帰ろうかと思う。 ところが、帰るにあたっては早起きをしなくてはならない。 ほんとうは百閒先生のように宿で惰眠を貪りたいところだが、帰り道は御予算の関係で三等車限定青春十八切符之旅と待遇が決まっている。 そもそも何の用事もなくて遥々熊本まで来たのだが、復路は家に帰るという用事を孕んだ旅である。 だから優等列車ですぐに帰ろうとも考えられるが、反対に、なるべくお金をかけずに済ませたいという要求も成り立つ。 それで、仕方なく早起きをして駅へと向った。 駅前の宿が奏功して、迷うこともなくすぐに改札口の目の前に着いた。

有人改札で切符に日付印を貰い人影のない跨線橋を渡って行くと、既に熊本始発の大牟田行き列車がホームに入線して静かに客を待っていた。 電車はお馴染み赤扉の切妻車、日曜早朝なので車内は閑散としており、乗客は部活に向うと思われる高校生が目に付く程度だ。 発車間際に数人が駆け込んでドアが閉まる。 熊本駅はちょうど平野の中にポコンと突き出た三日月型の山影に位置するが、その小山と線路の間に割って入る形で新幹線高架橋の工事が進んでいる。 発車してしばらくはこの高架を左に見つつ一緒に走り、やがてそれが離れて行くと鹿児島本線の方はちょっとした丘陵地帯へと分け入ってゆく。 植木、田原坂、木葉、なかなか趣のある名の駅を過ぎ、有明海の海岸線を走るようになるともう間もなく大牟田に到着だ。

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大牟田からは快速の門司港行きに乗り継ぐ。 今度の電車は前面真っ赤な813系で、負けずにおかない車内の方も派手な内装がなかなか目にしみる。 空いていたので先頭部のボックスを独り占めして前方展望を楽しんでいたが、途中の鳥栖駅で増結編成が前に付いてしまったために、そこから先は見通しが効かなくなった。 そこまで運転していた運転士君も貫通路開放で狭くなった運転室にそのまま居続け、手持ち無沙汰で座っていたのが印象的な光景ではあった。 電車は博多を過ぎて快速運転で北九州を横断、途中の遠賀川付近で昨日乗った「はやぶさ」とすれ違って一路終点の門司港駅へ。 私はその手前の小倉で快速を乗り捨て、関門海峡を潜って下関、さらに一時間程普通列車に揺られて午前中に新山口へと到達した。

さあ、ここからである。 発車の刻はお昼前の十一時四十六分、終着駅は三百十五キロメートル先の岡山、所要七時間と二十三分かかって山陽路を走り続け、ゴールに到着するのは夕刻の十七時九分。 新山口を発車して徳山までは普通列車扱いだが、その編成がそのまま快速「シティライナー」となって岡山へと向う。 そんな長距離ランナーの快速列車が今どき存在するとは恐れ入った。さらにこの後の時間では下関発岡山行きなんて兵もある。 というわけで、ここからは私はただ座っていれば目的地へ着くという按配。 そしてその目的地は岡山、そう、ご存知の通り内田百閒の生まれ故郷なのである。 しかし、百閒ゆかりでこの街を中継地点に選んだわけではない。 熊本から東京まで普通列車で無理なく帰るには、時間的にここがちょうど良い始終発地点であったというだけだ。

とか何とか言い訳をしているうちにも列車は徳山を過ぎ、この先からは間の小駅を飛ばして俊足で進んで行く、かと思えばさにあらず。 実質的な快速運転は岩国、広島近辺の特定区間で、それ以外はまじめに忠実に山陽本線の各駅に停車して行くローカル列車なのだった。 評定速度も後で計算してみると時速四十二キロ程度と平凡であり、これで「シティライナー」とはちょっと大風呂敷、時間のかかるのも頷ける。 だがしかし、なかなか良いのであった。 瀬戸内の海辺、山間の峠道、これらを時間をかけてゆっくりと辿って行く旅は、特にこのあたり普段は新幹線や夜行で通過してしまう事が多かった為もあり、いつになく新鮮な車窓が展開した。

そんな窓ガラスにポツポツと雨が落ちて来た。 場所は瀬野八も過ぎて三原が近くなったあたりであったかと思う。 天下の山系氏と違って私は雨男ではない筈で、それが証拠にこの二日間は全く良く晴れた日が続いていた。 従ってこの窓を濡らしている雨粒は嘘である、等と考えているうちにそうも言ってられないほど雨脚は強くなり、次に停車した駅では土砂降りの様相で、辺りの山々に雷鳴さえ轟き渡った。 どうやら夏の夕立に見舞われたようだ。 その後も小止みになってはまた土砂降りの繰り返しで、雷雲と電車で抜きつ抜かれつを演じながら終着の岡山駅へと滑り込んだ。

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ここ岡山は熊本同様、路面電車が現役である。 雨もとりあえず去ったようだし、まだ日暮れには間があるので、宿に向かう前に荷物を預けて一往復乗って来よう。 乗り場は駅前ロータリーの向こう側、地下道を潜っていった先の大通り中央で、駅前が広いだけにちょっと遠くて不便だ。 もう一足こっちへ乗り入れてくれると、だいぶ便利になるだろうにと思った。 次々とやって来る電車の一両に乗り込む。 発車するまでに車内は満席になったが、目抜き通りを抜ける頃にはあらかたみんな降りてしまい、進んで行くうち最後の方は私と子供連れの女性だけとなった。

そのまま東山線を乗り通して終点の東山で下車。 一緒に降りた親子はすぐに細い路地の方へと消えて行った。 電車は折り返しになるが一旦引き上げるので、私はその間車庫を覗いて来る事にした。 彼方の空でまだゴロゴロと遠雷が聞こえているのを気にしながらコンビニ脇を歩いて行くと、電停の先で線路は左右にY分岐しており、右手には車庫、左手敷地内には留置線が並んでいる。 その奥に古そうで小さな電車が見えたので望遠で撮ってみたが、これが最近KUROとしてリニューアルされた岡山電軌最古の電車であった。 冷房が無いのでこの時期は待機だろうか。 一方で最新鋭の低床車MOMOの方は出払っているようで、車庫にはその姿が見えなかった。

留置線の裏手が高台の公園になっているので、そこへ登って市街地を見渡してみる。 ここまでで平野は一段落して背後は丘陵地帯、その少し北側へ回り込んだあたりの丘の上に、鹿児島阿房列車に出て来る「にかいの塔」があるらしい。 正しくは瓶井山(みかいさん)禅光寺安住院の多宝塔の事だそうで、昔の岡山の人は「み」を「に」と発音したと同作品には書かれている。 帰り便の発車時刻になったので停留所に戻り、待機している電車のステップをトントンと上がる。 カメラをぶら下げてそこらをウロウロしていたので「鉄チャン」は露呈しているが、運転士は「どうぞー」とごく普通に迎え入れてくれたのでちょっとホッとする。 私とお婆さんの二人だけを乗せて発車した電車は、夕暮れの市街地へ向けてゴトゴトと進んでいった。

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その夜は岡山名物の「ままかり」と地ビールで、一人ささやかな祝杯をあげた。 それはこの旅が(多少の事件はあったものの)穏やかに恙無く終了した事と、翌日に迎える人生五十周年の節目も記念してのものであった。 そして次の日も早朝から、東京へと向けて一日がかりで移動する普通列車の旅程が続いた。 岡山を発車してすぐに渡る百閒川はぜひこの目で見て記憶に留めておきたかったのだが、網棚に上げる荷物の整理などしているうちについうっかり見逃してしまった。 先に百閒ゆかりで岡山に泊まったわけではないと記したが、その帰りの荷物の中にはしっかりと銘菓「大手饅頭」の箱が納まっていた事を、ここに告白しておく必要があるだろう。

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