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kumamoto nise ahou train  [ ensyo no higoji ]

次に目を覚ました時、少し開けておいたカァテンの隙間から既に朝の空が見えていた。 何だかんだ言いながら、揺れる夜の列車でもちゃんと眠ることの出来てしまうのは決して旅慣れているからではない。 単に寝付きが良いだけの話である。 寝台から起き出して一気にカァテンを引くと、流れて行く民家の屋根の向こうにチラチラと昇りかけの朝日が列車と一緒に走っている。 ゆっくりだが、「はやぶさ」は着実快調に進んでいるようだ。 深夜の大阪停車以降ここまでノンストップで来た筈で、交代番なのだろうが、我々が就寝している間ずっと起きて運転していた運転士さんには誠に頭の下がる思いがする。 まだ朝の五時台ではあるが、しばらくすると一夜明けた車内放送が再開され、まもなく広島に着く旨のアナウンスが流れた。

ベッドの上で着替えをしている間に広島に着いてすぐに発車、しばらく山中を走り続け再び海沿いに出て来ると徳山、ようやく時間は七時近くなる。 放送によればここからは車内販売が乗車するそうだ。 先頭の一号車から開始するので、私のいる二号車にはすぐに回って来た。 朝からアィスクリィムを舐めたいというわけにもいかないし、バナナも少々重いので(もとより持っていないだろうが)、常識的なホット珈琲だけをとりあえず所望し、東京駅で昨夜求めて来たサンドウィッチと共に軽い朝食とする。 食後は再び特設座席を誂えて、流れ行く山陽道の景色を楽しんだ。 途中からは海も望めるようになって、個室の窓の向こうにしばし額縁の絵のような景色が展開した。

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やがて、徐々に街並みが繁華になって来て長いホームに滑り込むと、そこが本州最西端の下関駅。 ここで列車は六分ほどの停車となり、関門海底隧道に備えて機関車の付け替えを行なう。 その旨アナウンスも流れるし、始発駅を出発進行して以来最初の長時間停車なので、ゾロゾロと車内から見学客が先頭部ホームに押し寄せる。 鉄、非鉄含めて老若男女が写真機や携帯を構える構図はちょっと微笑ましいものがある。 私もその一員なれど、取り巻く群衆の後ろから人々の様子を眺めては、「いい雰囲気じゃないか」とひとり悦に入っている。 ここまで頑張ってくれたEF66が引き揚げて行き、しばらくすると先頭部ステップに監視員を乗せたローズピンクのEF81がやって来た。

連結作業も終わり、周囲に港湾施設の大きなクレーン等を眺めなら少し走ると、すぐに曖昧な警笛と共に関門隧道へと突入する。 頭上を通過する船のスクリュー音まで聞こえるような気がして、大丈夫とわかっていながら何となくいつも首をすくめたような気持ちになってしまうのはいかがなものかと思うが、青函隧道に比べたら何とも呆気なく通過してしまい、すぐに窓の上に九州の空が見えて来た。 門司駅に到着。ここで再び長時間停車となり、今度は機関車の付け替えと「富士」「はやぶさ」の分割が含まれるため、十二分(富士は二十四分)の休憩である。 またまた大勢が作業見物に動くが、私はもう先ほどの見分によりだいぶ満足な気分であるので、ホームに足をおろす事もなくベッドで読書をしていた。

客車六両の身軽な編成となった「はやぶさ」は、切り離した「富士」の残り六両を門司駅に残し、一足お先に博多へと向けて発車。 ここ九州は私にとって曾遊の地であるが、先頃の山陰旅行の帰りに新幹線乗車の為に小倉へちょっと足を踏み入れたのを除けば、最後に訪れたのは遥か学生時代の彼方という事で、もう早三十年近くの歳月が経ってしまっている。 そう言えばその頃はまだ西鉄の路面電車が博多の街をあちこち走っていたので、今から思うと隔世の感がある。 そんな博多へ向け、列車はいつの間にか生じた五分程の遅れを取り戻すでもなく、鹿児島本線を淡々と走って行く。 途中の赤間駅では、後続の特急列車に寝台特急が抜かれるという象徴的なシーンも拝ませてもらった。

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さて、親愛なる読者諸兄は贋阿房列車に御乗車下さいまして誠に有難うございまするが、毎回発生している事件が今回はまだ起きていないのを御心配の向きもあられるかと思う。 でも心配はご無用で、ちゃんと起きてしまったのである。 博多を発車してその後も単調に走っていた列車は、しばらくすると徐々に速度を低減させてゆき、停車駅でもない基山という小駅のホームにピタリと止まって、それっきり動かなくなった。 少しの間をおいて入った案内放送は、先行したリレーつばめ号が踏切で乗用車と衝突し、乗用車は大破、現在撤去作業の為にクレーン車を手配している最中との報告を行なった。

さて困った。別に急ぐ旅ではないが、事故の状況から察するにそう短い時間では開通しないだろう。 特に用事があるわけでもないが、綿密に立てた本日のこれからの旅程が全てふいになってしまう。 まさか夕方までに宿に行き着けないなんて事はないと思うが、まぁ最悪この列車には寝台があるんで、このまま動かなくても何とかなるにはなるんだが。 半分やけになってベッドにゴロンと横になり、しばらく携帯楽曲再生装置で音楽を聴いたり読みかけの本を読んだりしていた。 ふと気動車の排気音が耳に届き、むくと起き上がってみるとどこかの支線だろうか、小さなレールバスが隣のホームを発車して行くところだ。

そのうち車掌がまわって来たので代替交通機関の有無を尋ねようとすると、何と、まもなく運転再開になる見込みだそうだ。 ところが、後から来るリレー号を優先させるため、こちらの列車はしばらく足止めされるだろうとの事である。 何でも新幹線中心にまわっているんですね、この世界は、何て愚痴も出そうになったが、お急ぎのお客様におかれましてはここでリレー号を臨時停車させますのでお乗換え下さい、と来た。 その昔、大磯の別邸に住まわれていた伊藤公は、自分が乗るべき急行列車を停車駅でもない大磯に停めたそうである。 そんな逸話が阿房列車の一編に書いてあったのを思い出す。
「おいおい、山系君、伊藤公がここにもいるよ」
「事故だから仕方ありません」
「これは類稀なる英雄的行為だ」
二人の会話を夢想しながら手荷物を手早く纏め、冷房の効いた室内から車掌の操作により開放された折戸を抜けて、基山駅のホームに立つ。 一晩かけてのんびりと走る寝台列車の客が「お急ぎ」である筈もないのだが、意外にも結構な数の人々が私と同様ホームに降りて来た。 そこは炎暑の九州、太陽もだいぶ高みに昇った夏の日、既にもうすぐお昼にならんとする時間であった。

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