October, 2010

西武鉄道

さて、しんがりは西武である。 さすがに新宿線、池袋線など、都内の本線上から構内踏切はもはや消滅しているが、支線の多摩湖線と多摩川線の多摩多摩コンビに残っている。 この二つの支線、どちらも全線単線で101系のワンマン運転という似たもの兄弟。 生い立ちが多摩湖鉄道、多摩鉄道という別会社で、それぞれ西武の本流会社である武蔵野鉄道、(旧)西武鉄道に吸収合併されたというあたりも似たような境遇だ。

この日はJR青梅線と拝島線を乗り継いで、まずは萩山駅から多摩湖線に入った。 乗り込んだのは新101系の旧塗装復刻車、西武イエローとトニーベージュのこの塗り分けはなかなかに懐かしい。 発車して急カーブを切り、ゴトゴトと少し走るとすぐに棒線一面ホームの青梅街道駅に停車、次が目指す一橋学園駅だ。 到着して編成の後部から降り、前方の改札の方へ歩き出そうとすると、逆方向に向かう人達とすれ違う。 振り返るとそこには構内踏切を渡って行く人達の姿が。 実はあまり予習をしないで行ったので北口のある事を意識していなかったのだが、この駅の島式ホームからは南北両方の改札へ向かって構内踏切が伸びている。

萩山駅

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国分寺方面は主に1番線で折り返す。旧塗装の101系が発車時刻を待っていた

一橋学園駅北口

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北側の構内踏切。旧小平学園駅利用者に配慮して設けられた北口駅舎は無人で自動改札のみ


一旦自動改札を抜け、線路脇の道路から駅を観察しつつ南口の方へ周ってみる。 南口は駅員のいる本屋となっており、一橋大学の最寄り口でもあり利用客は多いようだ。 ところでそもそもこの駅、南北に隣接して存在した「一橋大学駅」と「小平学園駅」が統合されて出来たもの。 だから「一橋学園」という学校は存在しないし、さらには「小平学園」の方も、かの箱根土地が国立に先駆けて開発した「小平・学園都市」から来ている。

本題の構内踏切の方だが、南口に設けられているそれは利用者が多く混雑するためか、雨の日でも傘をささずに渡れるよう屋根付きになっているのが珍しい。 それも架線を囲むようなカマボコ型をしており、高いので遠くからでも良く目立つ。 そんな駅舎を外から眺めながら、駅前から線路沿いに南へ続く商店街を歩く。 と、ワンブロックほど進んだ先に、三角形の植え込みを囲むロータリーが現れた。 ここが旧一橋大学駅前広場で、駅のあった位置には小さなビルが立ち並んでいるが、そこから真っ直ぐ伸びる通りの正面奥には一橋大学小平キャンパスの正門が対峙している。

一橋学園駅南口

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南口の構内踏切は大きなカマボコ屋根付きで特徴的

一橋学園駅南口

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天井が高く雨の吹き込み防止の為か、踏切幅に対して広めに覆われている


一橋学園駅南口

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南口駅前から旧一橋大学駅方向を望む

萩山方面< [ 一橋学園駅模式図 ]>国分寺方面 Image

一橋大学駅前跡

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少し行った所にある旧一橋大学駅前広場のロータリー。正面のビルが駅跡の位置で、その裏手が線路

一橋大学

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一橋大学正門前。日曜の朝は学生の姿も無く静寂の世界


一橋学園駅の観察を終えた後は、国分寺駅を経てJR中央線で武蔵境へ。 ここから、西武の中にあって他の線区とは独立した線路の多摩川線に乗る。 武蔵境は、以前は中央線下りの島式ホームをJRと西武で両側を使っていたためドアからドアへと乗り換えが出来たが、高架化でホーム分離となって、今は一旦階下の乗換改札を通る必要がある。 階段を上がって行くと、ホームに待っていたのは西武で最後に残った低運車の旧101系、今はこの一本だけとなった貴重な顔の存在だ。

大屋根下のホームを出発すると真新しい高架を降り、左へカーブして中央線と分かれ、しばらく直線を走れば新小金井駅。 多摩川線はここから3駅連続して構内踏切がある。 東北本線に既に小金井駅があったために頭に「新」がついたこの駅だが、中央線の武蔵小金井駅よりは早く出来た歴史のある駅だ。 周辺は静かな住宅街区で特に目立った施設は無いが、ここから南側及び北側にもかつて引込線が伸びていたそうだ。 そのためか、下りホーム裏手には線路が通っていたような痕跡があり、付近の敷地にも留置線分の広がりがある。

武蔵境駅

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高架新装なったが、中央線同一ホームから乗り換えの便利さは無くなった

新小金井駅

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降りたら電車が発車して行くのを待たねばならない


新小金井駅

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相対ホームのシンプルな構内。日曜の昼間は静かだ

是政方面< [ 新小金井駅模式図 ]>武蔵境方面 Image

新小金井駅で次の電車を待っていると、やって来たのは白いボディのラッピング車、「秋」バージョン。 多摩川線では今やこの新101系が多数派の存在で、「春」「夏」「秋」の3編成が就役している。 一区間乗って多磨駅に到着。 彼岸明けのこの時期だが、多磨霊園の最寄となるこの駅では、非常に多くの人達が私と共にホームへ降り立った。 私も墓参の人波に任され、構内踏切を渡ってそのまま多磨霊園の方へと向かう。 駅前は細い路地で車のすれ違いも大変そう、霊園へと向かう参道には古い店構えの石屋さんがズラリと並んでいる。

多磨霊園の正門前まで行ったところで、以前この中を歩いて運転免許試験場まで往復した事のあるのを思い出した。 それはまだ駅名が「多磨墓地前」だった頃だ。 その後、米軍から返還された駅東側地区の開発が進み、多くの学生たちが利用する事となって「墓地前」の看板は外された。 駅前に戻って来ると、駅舎の脇に地下道入口があったので入ってみると、線路を潜って東側の広場に出た。 西側の駅前は手狭なので、改札口の無いこちら側にロータリーを設けたようだ。

駅北側の踏切を渡ってゆくと、ちょうどそこに一往復して来た旧101系編成が下りホームへと到着。 またまた多くの客が降りて来て、線路を渡り改札口へと向かう。 ここも構内踏切の上に屋根が設置されているのが特徴だが、一橋学園駅と違ってこちらは平らな大屋根だ。 都内では現在西武だけでみられる屋根付きの構内踏切、乗客の快適さに配慮したなかなか粋な計らいというべきか…。

多磨駅

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多くの墓参客が降り立ち、改札へと向かう

多磨駅

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駅前に広場はなく、とても手狭だ


多磨駅東側広場

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改札外の地下道を潜って行くと、東側の大きな駅前広場に出る

多磨駅

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大屋根が特徴的な構内踏切。架線の上に設けなければならないからどうしても大掛かりだ


是政方面< [ 多磨駅模式図 ]>武蔵境方面 Image

多磨霊園正門

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緑の影が濃い多磨霊園入口


再びやって来た「秋」号に乗り、次の白糸台駅へと駒を進める。 白糸台は年配の方には馴染みがないかも知れない、昔の駅名は「北多磨」だ。 「多磨墓地前」が「多磨」に改名された時に、その南にあるのに「北多磨」では混乱の元という事で「白糸台」になった。 白糸台はここの地域名なのである。 そういえば、ここで交差する京王線の駅に「多磨霊園駅」があるが、開業時に「多磨駅」を名乗っている。 それよりも若干北側にあったので「北多磨駅」としたのだろうか。 この界隈は「多磨」をキーワードになかなか複雑だ。

駅は島式ホームで、西側にある駅舎の改札口との間を構内踏切で結んでいる。 私と一緒に降車したのは僅か数名だったが、踏切の写真等撮っているうちに皆行ってしまった。 最後の私が簡易改札機にタッチするのを確認すると、待っていた駅員は事務所に引き上げた。 駅前は小さな広場があるが商店街らしきものも無く、何となく中途半端。 かつてのホームはもう少し是政方にあったというから、そのせいかも知れない。

白糸台駅

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白糸台駅は島式ホームで白糸台車両基地が併設されている

白糸台駅

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広い構内踏切の先は左にクランクして改札口へと至る


白糸台駅

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駅前は閑散としている

白糸台車両基地

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留置線で「春」号が昼寝をしていた


白糸台駅

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是政方の踏切から覗くと、向こうの高架上を京王線の電車が疾走して行った

是政方面< [ 白糸台駅模式図 ]>武蔵境方面 Image

駅の周囲を少し散歩しつつ、お隣の車両基地を覗いてみる。 現在3編成ある四季シリーズのうち「春」号が留置されていたので、今は「夏」「秋」と旧101系の3本が働きに出ている事になる。 この冬にもう一編成が登場すると同時に、旧101系は引退となるのだろうか。 そんな事を思いながらグルリと一周して再び駅前に戻って来た。 ふと見ると広場の正面に「武蔵野台駅」への乗換案内地図が出ていたので、それに従い京王線で帰ってみる事にした。 しかし、しっかり地図を記憶して進んだ筈なのに、何だか道が変ですぐに迷ってしまった。 カメラで撮っておいた画像を再確認してみると、どうやら地図上の「武蔵野台駅」と「白糸台駅」を勘違いして逆に見ていたのだと気が付いた。

- おわり -