近鉄橿原線, 大阪線, 信貴線

橿原線の田原本は対向ホーム2面2線の小駅である。 改札を入ると下り方面のホームは地下道を潜った先になるが、階段を上がって行ったらそちらにも改札があってガッカリした。 駅前の踏切を渡れば、階段を昇り降りせずにそのまま下りホームに直接入れたのだ。 昨日乗り換えた大和八木まで橿原線で南下、そこから今日は大阪線に乗って河内山本へと向かう。 信貴線の分岐する乗り換え駅だが急行は停まらないため準急で移動、途中で特急通過待ち等があり着くまでにだいぶ時間を要した。 さて信貴線に乗り換えようと階段を降りて行くと、そこに待っていたのは2両編成の電車。 近鉄でもこんな短編成があるのか、ローカル度のポイント数さらにアップである。

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信貴山口駅
2面1線櫛形ホーム。降車用は多客時のみ使用

時間になると運転士の他に車掌もやって来たのには驚いたが、何故かここはワンマン運転ではないらしい。 発車するとしばらく路地裏の様な場所を抜けて走り、唯一の中間駅「服部川」に停車すれば次はもう終点の信貴山口駅、生駒線の信貴山下とは山を挟んで反対側に位置する。 ここで信貴山ケーブルに乗り換えとなるが、中間改札はなくL字型に左手へとケーブルのホームが繋がっている。 電車から降りて来た客に向かってホームに立った駅員が何か連呼しているが、この先ICカードが使えないので利用者は一旦自動改札を出て欲しいという。 私は週末フリーパスなので問題なかろうと考え、そのままケーブルの車両へと乗り込んだ、

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西信貴ケーブル
形式はコ7形。発車を待つ「ずいうん」号

近鉄西信貴鋼索線, 信貴線, 大阪線

信貴山ケーブルは近鉄なのだが、車両は虎をあしらったデザインで何だか阪神っぽい感じもする。 きっと虎は何か信貴山に縁のある動物なのだろう。 ケーブルはゴトゴトと急斜面を登って行く。 日曜午前中の人々が行楽地へ向う時間帯だが、乗客は少なく車内は静かだ。 途中ですれ違った下り車両には、軽便の気動車等に良く見られる荷物台が付いていた。 すぐに山上側の「高安山」駅に着き、乗客達は駅前のロータリーで待っている連絡バスに乗って総本山の信貴山門へと向かう。 バスに乗らないのは私のほかに数人、一人はカメラを持って山道の方へと歩いて行った。

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山上鉄道線高安山ホーム跡
信貴山電鉄は1930(昭和5)年の開業
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山上鉄道線高安山ホーム跡
ホーム跡の向こうで発車待ちの連絡バス

ところでここには廃止された信貴山急行電鉄(開業時は信貴山電鉄)の山上鉄道線ホーム跡がある。 発車を待っている連絡バスも廃止線の代行で走っているようなもので、その走路は廃線跡を利用して作られた自動車専用道路だ。 ホーム跡はケーブル駅前のすぐ左手にあり、そこにはきちんと案内板も設けられていた。 それによれば、昔はコの字型の頭端ホームだったが、今残っているのはその片面のみとの事。 ホームの上に立って発車して行く電車を夢想してみたが、こんな山奥に高床の大きな電車が走っていたとは、なかなか想像しがたい光景ではある。

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高安山展望台からの光景
遠くにあべのハルカスらしき高層ビルも

例によって一通り見学してしまうと、次のケーブルまでだいぶ時間があるので手持無沙汰である。 ケーブル駅を挟んでホーム跡と反対側に展望台らしき東屋が見えたので、そちらへと階段を登って行った。 眼下には大阪市街方面の展望が広がっているのだが、少しガスっていてあまり見通しはよろしくない。 展望台を降りる途中、すれ違った人達が次々に「こんにちは~」と挨拶してくれる。 こちらも挨拶を交わしつつ下まで降りて見上げると、彼らは展望台へは行かずに途中の斜面に貼り付いて作業にかかっていた。 どうも付近を整備しているボランティアの皆さんのようだった。

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信貴山口駅
駅の外は静かな住宅地だった

発車の時刻が近づくと連絡バスが戻って来て停車、降りたのは2組だけだ。 駅で待っていた人も含め、下りのケーブルは5~6人の客を乗せて発車した。 バスで来た初老の夫婦は何かボソボソと話し込んでいたが、旦那の方は赤ペンで競馬新聞に書き込みをしているのであった。 ケーブルを降りたら待っていた信貴線の電車に再び乗り継ぎ、そこからは所要僅か5分で河内山本へと到着だ。 最後は大阪線の電車で近鉄の拠点である大阪上本町のターミナルへと乗り込み、ひと駅折り返して環状線乗換駅の鶴橋で週末フリーパスのお役目終了と相成った。 上本町の折り返しでは発車する1番線の乗り場を探して右往左往したが、しばらくしてようやく地下にもホームの有る事を思い出したのは、それを乗り逃がしてしまった後の事だった。

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大阪上本町駅
大軌開業時からの歴史あるターミナル
(終り)

photo近鉄路線図