五日市:岩井(大久野)支線 1996/07


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 岩井支線は、岩井にあるセメント工場からの貨物輸送を目的に建設されたが、武蔵岩井、大久野の2駅が設けられ、武蔵五日市始発の区間列車が運行された。 クモハ40の単行だった様だが、本線上で一度停止し、スイッチバックの形で岩井支線の勾配を駆けあがって行ったという。 昭和46(1971)に旅客輸送は廃止されたが、その後10年以上、貨物輸送は続けられた。日に1度、ED16 が貨車を従えて出入りしていた。

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 私は、奥多摩方面へ自転車でツーリングに出かけて五日市経由で帰る場合、大抵青梅へのショートカットコースとして、秋川街道を抜けていった。 ここで何度か ED16 に出会った思い出がある。 ある時は勾配をゆっくりと登ってくる機関車と競争し、又ある時は踏切りの奥、大久野駅構内の信号機の向こうで、静かに発車時刻を待っている姿を見た。

 そしてそれは久し振りに五日市方面へ自転車で出かけ、いつもの様に大久野駅前の踏切りを通りかかった時だった。ない!! 踏切がきれいさっぱりと、無くなっていた。ショックだった。

 その後そこを通るたびに、私は付近を見てまわる様になった。大久野駅跡の裏手の方へ行き、鉄道柵や標識が残っているのを発見した時は、正直嬉しかった。 思えばこれが、私を廃線探索へと引き付けるきっかけだったかも知れない。


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 さて、'96年にここの取材に行ってまたまたショックを受けた。 武蔵五日市駅が高架化される事は聞いていたが、こんな大規模な工事が行なわれていたとは。

 旧岩井支線の路盤跡を登って来た高架駅への新線は、巨大なコンクリートの橋梁で秋川街道の上を渡っていたのだ。(写真左:※地点)

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ここのその後の様子が、亀山太郎さんのページで紹介されています。
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