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若葉萌える新緑の季節だ。自転車で走るには心地よい気温、爽やかな風、澄み切った空気。それら全てが私の五感を刺激してくれるものの、今年は残念ながら猛威を振るった花粉の後遺症がまだ尾を引いている。GWもなかなか調子が戻らず出かけられなかったが、ええぃままよと最終日にかろうじて自転車を引っ張り出したのだ。

2005/05


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稲荷山公園駅
この奥手方向は線路両サイド共に基地となる。
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下原貨物駅跡
上り線側。1月頃までは線路が残っていたという。
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下原貨物駅跡
下り線側の状況。線路沿いに空地。

行き先は心の中では決まっており、最近色々と情報を頂いている入間方面。花粉の飛散が落ち着いて以降、本格的な走りは今日が初めてであるが、リハビリ替わりに程よい距離だし、体がダメなら途中で引き返して来れば良い。そんな気持ちで軽く走り出した。

うちから入間方面に向かう時には常に愛用している道、茶畑の中を行く圏央道の側道をポタポタと走り、入間市駅前を経て西武池袋線の稲荷山公園駅へと到着。今日のターゲットは、その西武池袋線と西武新宿線に挟まれた敷地に横たわる広大な航空自衛隊入間基地への引込線だ。

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− 入間基地の歴史 −

入間基地の歴史は、この地にあった豊岡飛行場に1938年、陸軍航空士官学校が開校した事に始まる。その後、昭和天皇によって修武台飛行場と名を改められるが、終戦に伴い米軍に摂取され1945年10月、「ジョンソン基地」となる。一方、1954年に東部訓練航空警戒隊がジョンソン基地に編成、さらに1958年には中部航空方面隊司令部設置により入間基地が発足し、米軍との基地共同使用が始まる。1963年、ジョンソン基地の敷地は日本に全面返還され、航空自衛隊入間基地や公園、公共施設等となる。稲荷山公園も元は米軍施設の公園で「ハイドパーク」と呼ばれていた。
 この基地への資材搬入用として開設されたのが西武池袋線の下原貨物駅で、稲荷山公園駅から所沢方面へ 0.6kmの地点にあった。開業は 1945年11月だから米軍が進駐して僅か一ヶ月後の事だ。廃止は 1982年だが、駅跡にあった建屋は 2002年頃まで、また池袋線とは切り離されたが線路も最近まで残っていたという。(基地内奥手の一部は残存)

但しこの引込線を探訪するのには一つ問題が。それは池袋線が基地を分断する形で敷地を通過しており、その場所へは容易に近づけないという事だ。以前地図で事前のリサーチをしつつ、ここへの経路をあれこれ調べていた私は心の中で思わずこう叫んだものだ。「道が無い!」  仕方が無いので本日は一旦ここで自転車を駅前の駐輪場にロックし、パスネットを買って一区間だけ電車に乗り込む。

やって来た急行池袋行きに乗車し、ドア脇でカメラを構える。隣駅の武蔵藤沢へはわずか 3分、そのうち基地の部分は半分程度なので、撮影可能な時間は 1分ちょっとしかない。カメラを固定してシャッターを切り続けたが、一往復して得られた成果はこの程度。事前に情報を得ていたとは言え、本線に平行する部分は既に線路も撤去され、跡地の砂利に若干その面影を偲べるぐらいだった。

※線路があったのはこのあたり Icon   

一往復して戻って来て、電車を降りれば目の前は駅前に広がる稲荷山公園。緑に覆われた気持ちの良い空間にはこの日も多くの市民が訪れており、憩いのひと時をすごしていた。せっかくなので私もしばらく木の下で休憩し、森の精気を存分に吸収させてもらった。元気を頂いた所で再度自転車に跨り、次の目的地へと向かう。




ターゲットの 2番目、それは入間基地を挟んで池袋線の反対側。ここを走る西武新宿線からもかつて基地へと引込線があり、資材や弾薬類が運搬されていたと言う。その為この線は、通称「爆弾線」と呼ばれていたそうだ。何やら物騒なネーミングだが、こちらも今は廃止され、線路もきれいに取り払われている。

滑走路の北端を迂回して東側へと回り込み、陸橋で線路を越えてすぐ右折、基地に沿って南下にかかる。しばらく進んだ所でハンドルを右へと向け、住宅街の路地へと分け入る。こちらは池袋線と違って敷地内を線路が通ってはいないため、何とか目指す場所へは自転車でも近付いて行く事が出来る筈だった。だが現場に着いてみて、思わず私がつぶやいた言葉は...「道が無い!」

線路際に側道ぐらいあるだろうと思ってやって来たが、そこははビッシリと民家が建ち並んでおり、その合間からかろうじて基地の方を窺い知る事が出来る状況なのだった。覗いて見ると、電車の行き交う旧川越鉄道の真っ直ぐな線路の向こうには、基地のフェンスがピッタリとくっ付いている。その一部が若干へこんだようになっているが、このあたりが爆弾線の進入口だったようだ。

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国土交通省カラー空中写真
昭和49年 八王子地区 
「川越」より抜粋(縮小)→
− 爆弾線について −

西武新宿線の狭山市〜入曽駅間から分岐していた通称「爆弾線」。この引込線に関する情報は少ないが、入間基地がまだ米軍管理下にある頃に爆弾や燃料を運搬する為に使われていたそうだ。
 昭和27年修正版の国土地理院2.5万図にはこの引込線が記載されている。また右の写真のように昭和49年時点の航空写真でも、レールは取り払われているようだがその痕跡ははっきりと見て取る事が出来る。

成果は少なかったがこれでとりあえず本日の任務を全うし(^^;)、敷地の南側をまわって帰途に就く。滑走路南端の窪地には写真のようなテニスコートが。ランプの並びで分かると思うが、ここは離着陸する飛行機航路の直下だ。横田ほどひっきりなしに航空機がやってくるわけではないのだろうが、のんびりとスポーツをしていて良い場所なのかな?という疑問がふと頭をもたげた。

県道を右折して西側を北進。こちら側には唯一、基地の中を一望出来る高台がある。遠くて引込線跡まではとても観察出来ないが、滑走路の向こうに小さな練習機と思われる機体がいくつか並んでいるのが見えた。最後に道路は池袋線の線路を渡って彩の森入間公園前を通過、この奥が入間基地正門になり、これでグルリと基地の周りをほぼ一周した事になる。

往路と同じく、復路も茶畑の中を通ってのんびりと帰って来た。見事な五月晴れの中、久し振りのアウトドアで気持ちの良い走りだったが、さすがに手足が日焼けして今も少々ヒリヒリとする。家に帰り着いて着替える時、首から脱ぎ捨てるTシャツに一瞬お日様の匂いを感じたのが、何とはなしに嬉しかった。



参考:
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基地内の官舎
稲荷山門近く。使っていないようだがいい感じ。
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爆弾線分岐点付近
この部分だけフェンスが一段低くなっている。
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滑走路南端
画面奥が滑走路。あくまで平和な地上の光景。
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帰り道
入間市内。某所の木陰で休憩中。

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