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富津岬の軍用鉄道 2010/07

遠く、対岸の三浦半島と交わるあたりの海をゆっくりと貨物船が進んで行く。 その手前には緑の低木を乗せた第一海堡が陽炎のようにユラユラと揺れている。 岬の先端にある展望台からじっとそれらを眺めていると、自分のいるこの地面も何だか少しずつ東京湾へと向かって動き出しているような錯覚をおぼえた。 振り返ると、この塔に至る陸地は両側から押し寄せる波に洗われ、段々とその色を空気の中に薄めながら彼方へと続いている。 そしてそれが扇形に広がってゆく背後には、岬を支える房総半島が低く長々と横たわっているのである。

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千葉県民であった私にとって、房総半島から東京湾に向かって針のように伸びる富津岬の地形は小さい頃から良く知っている存在だった。 何かのテストで県の形を紙に描く時も、必ずその特徴の一つとして欠かす事の出来ない部分となっていたのだ。 だがその頃はただ地形的な理解はあっても、ここが戦前まで軍事的に非常に重い意味を持つ場所だった事を意識する機会はなかった。 その後長じて色々と軍関係の施設があったのは知るようになったが、それは今回の訪問でより一層、私の中ではっきりと認識されることとなった。

富津岬は房総半島を南北にほぼ二分する位置から東京湾に突き出た細長い岬だ。 ここを境に北側の海岸は遠浅を埋め立てた工業地帯、南側は浦賀水道に面した漁村や海水浴場の点在する山岳海岸となる。 そして地形学上この岬は、その少し北側で東京湾に流れ込む小糸川が房総丘陵から運んで来た砂、及び外洋側から流れ込んだ土砂が重なる形で三角州となり、それが隆起及び更なる土砂の蓄積によって砂洲になったとされる。

三浦半島の観音崎と共に東京湾の門を成すこの岬は、その内湾入口の要衝として早くから着目されていた。 古くは江戸時代に台場や陣屋がおかれ、外国からの船を見張ったという。 明治時代には海軍の駐屯地が出来、沖合には海堡が建築された。 大正期に入ると当時の北条線(後の房総西線、現在の内房線)青堀駅から半島の先端部まで線路が敷かれた。 貨物列車で資材を運び、ここで大砲類等の兵器試験が行なわれていたそうだ。 そう、一部の人には知られているが、富津岬には一時期、鉄道が通じていたのである。

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