第二部 下之郷〜西丸子


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下之郷駅を望む

踏切りを渡って下之郷駅の南側へまわる。あたりは一面の田んぼだが、その中に一筋、駅からまっすぐに南西へ伸びている農道が西丸子線の廃線跡になる。
 この線は、上田交通の前身である上田温泉電軌が丸子〜上田間の直通を図るために大正15年開業、当時は依田窪線と呼ばれていた。しかし、その時すでにライバルである丸子鉄道(後、上田丸子電鉄として両社は合併)は丸子から大屋を経由して上田東までの区間を運行しており、時間的にはそちらが有利だったのでこっちの方はあまりパッとしなかった様だ。
 結局昭和36年、台風による依田川鉄橋及び二ツ木トンネルの破損を契機として電車は運休、そのまま昭和38年に廃止となってしまった。




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下之郷〜石神間

さて探索の方だが、下之郷のすぐ南にあった「宮前」のあたりは怪しい草地に廃棄された鉄骨(駅のものでは無さそう)が転がっていた。そこから先線路跡は、田んぼの中の道を塩田平のへりを目指してゆるく、しかしどこまでもまっすぐに登って行く。
 自転車を漕いでいると、日差しがちょうど正面に来て目にギラギラと刺さる。風景が全て逆光になり、暑さのせいもあって頭がボーっとして来た。「石神」の駅跡あたりでやっと県道を渡り、方向が変わったので光線からは開放された。




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尾根川の橋台
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雨吹川を渡る

小学校の裏を通って路地を進むと、行く手を尾根川という小川が阻むが、その向こう岸に唐突に橋台が残っている。対向する小川のこちら側には家が立ち並んでおり、過去を知らない人だったらそれが何を意味するものかはわからないだろう。
 線路はその先でもう一つ小川(雨吹川)を渡るが、こちらは橋台は道路用に作り替えられているものの、その左右のウイング(翼壁)は玉石を積み上げた当時のままの物が残っており、またそれに続く築堤は鉄道時代の雰囲気をよく保っている。




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馬場(ばっぱ)駅跡
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県道の二ツ木峠

さらに進んで行くと、田畑の中に半分朽ちかけた物置小屋が建っているが、これが何と当時の馬場(ばっぱ)駅の待合室そのものなのだそうだ。風雨に耐え、今でも現役でお役に立っている様は、なかなかたいした物だと思う。私も小屋の影でしばらく日差しを避け、休憩をさせてもらった。
 その先線路跡の道は峠の手前あたりで尽き、広く拡幅された県道を仕方なくトボトボと登って行く。周囲は工業団地として大規模に造成されており、ここにあった二ツ木トンネルも埋められてしまった様だ。
 追い越していったトラックが視界の先で地面に消えた... と思ったらそこがこの道路のサミット、二ツ木峠だった。峠は市界となっており、ここで上田市から丸子町へと突入する。




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依田川の橋台
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生垣ではない

峠で一服のあと、しばらくは快適に下る。自転車で走っていると下りが一番楽しい。登りが良いという自虐的な人もいるが、私は下りがあるからこそ登りに耐えられるのだと思う。
 とか何とか考えてる間もなく、自転車は数分で丸子の盆地へと降りて来た。核心の依田川へと至るが、ここで依田川橋梁の遺構を探して車道の橋を渡ったり戻ったり、しばらくウロウロしてしまった。
 何故てこずったかというと写真の通り、方や上田側の橋台は草藪に覆われてほんのちょこっとしか顔を出していない。また丸子側の橋脚も、見事に蔦にカムフラージュされており、遠目には生垣にしか見えなかったというわけだ。




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ここに駅あり

橋を渡って右折し、にわかに車の通行量の多くなった街中のメインストリートをしばらく進む。さすがに人通りも多いが、かつて 2つも鉄道路線の乗り入れていた大きな町だからそれも当然である。何となく、もう少し行ったらポッカリとJRのどこかの駅前に出るんじゃないか、とも思える雰囲気がある。
 だが最後にポッカリと出たのは、消防署脇のちょっとした広場だった。隣の保険施設と共用の駐車場となっている様だが、かつてこのあたりに「西丸子」のターミナルがあったという。そしてここから東へ少し坂を上れば、ライバル丸子電鉄の駅はもうあと数百メートルという近さである。




 ここまででお昼もだいぶまわったので、依田川の河原の木陰で昼食にする事にした。まずは冷房のガンガン効いているコンビニでお握りを買い出し、ついでにデジカメの残り駒数が尽きたので、コンパクトカメラを買って大屋駅までの第三部に備える事とした。(つづく)

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