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Iconはじまりは

それは自転車雑誌「ファンライド」発行元、ランナーズ編集部 Kさんから頂いた一通のメールで始まりました。「・・・というわけで、ぜひとも廃線跡ツーリングのナビゲータ役をお願い出来ませんか?・・・」う〜ん、まことにありがたいお誘いなのだけど、ファンライド誌と言えばバリバリのレース系雑誌という固定観念があったものだから、果たして私の軟弱ツーリングで読者の皆さんに受け入れられるのかどうか。

少々不安を感じつつもとり合えずはお引き受けし、取材候補地をご提案申し上げた次第ですが、私が選んだのはここ、羽村山口軽便鉄道。何故かって言うとほぼ全線が緑道若しくは自転車道化されており、加えて起点は多摩川、終点は多摩湖のサイクリングロードと接していて自転車向き。さらに遺構やトンネルなんかも残っているので、撮影には絶好の条件と思ったわけです。これには Kさんも大賛成してくれて、早速取材日や集合場所など、詳細の相談が進んでいったというわけです。

はてさて、そんなこんなでまだまだ残暑厳しき 8月某日の早朝、集合場所に指定した羽村の堰へとやって来ました。サイクリングロード終点近くに早速それらしき人発見!声をかけてみると、果たして同誌販売の W氏でした。でも肝心の Kさんがまだ来ない。おかしいなーと思って二人でしばらく待っていると、ヒョコヒョコと遠くから歩いて来る女性が一人。なんと Kさん、少し離れた別の駐車場に車を停めて、そこから歩いて来たんだそうな。もう少し親切に駐車場所の事前案内をしておけば良かったと反省反省。

ランナーズの皆さん

で、お話によればさらにカメラマンの I氏+編集 Eさんがそれぞれ別な車で見えるとの事。集合時間を少し過ぎた頃に Kさんの携帯に入った連絡で「今、小作駅付近」とか「多摩川が右手に見える」などというミステリアスな現在地情報を聞きつつ、冷や汗をかいている未熟ガイドの私なのでありました。「いやー、でもここ誰でもわかるはずなんだけどなぁ」という助け舟の一言を発してくれたのは、朝一から自転車で多摩川を遡上して来た W氏。そう、ここ羽村の堰は、多摩川を愛用コースにしているライダー達にはお馴染みのポイント。上流側のサイクリングロード折り返し地点として、つとに有名な場所なのでした。

メンバーが揃うまでの間 Kさんとしばし談笑... の筈が、さりげなくインタビューになってるあたり、さすが編集のかたですねぇ、ちょっと感動。しかし皆さん現役レーサーばかりなのかと思ってましたが、お話を伺ってみると必ずしもそうでは無いのネ・・・、という事で、これからの走りに若干余裕が持てた気がします。(みんなに煽られたらドウシヨーなんて思ってたわけでして ^^;)


Iconいよいよ出発

9時頃になってようやく全員揃いました。カメラマン I氏、機材の準備完了、女性編集員 Eさんの車から Kさんの自転車も降ろされ、いざ出発進行ぅ。パスハン、マウンテン、ロードの混成部隊は、奥多摩街道から脇道をいきなりの急登で少々バラけつつ、崖上のゲートボール場へ。ここ、登って来た細道からクイっと右手に入った所なんですが、先行した 3名で待っていると、後続組がわき目も振らず通過して行く。あれー行っちゃダメー・・・っと慌てて呼び戻し、廃線跡のスタート地点へようやく勢ぞろい。さっそく一行の雄姿をカメラに収めてもらいつつ、青梅線との交差地点まで進みます。

ここで私が若干の講釈をたれ、いよいよ廃線跡の緑道へと分け入ります。緑道は、小さな畑の脇、密集した民家の軒先をすり抜けて、古い団地の中を斜めに通過。このあたり、前後の交差点には道路に斜めにレール状のアングル材が埋め込まれていて、廃線跡がクッキリと浮かんでいます。カメラマンさん、販売 W氏の手をモデルにしばしこれを撮影。その先には、この廃線を知る人にはお馴染みの駐車場。そう、インクラインからの積み替え施設があった場所です。

横田基地付近にて

続いて工場の裏手を通過。ここで私が「そこ、覗いてみて下さい。レールが...」と生垣の下を指差すと、Eさん「おぉ!」っと驚くが実はこれ、お約束のネタなのでありまして、私も初回来た時はビックリした物件。生垣の向こうに工場の移動式クレーンがあり、そのレールが敷かれているって寸法です。だから軽便鉄道には全然関係ないんですね、これ。

その先で廃線跡は横田基地に突き刺さり、ここは大人しく左手へと大迂回。16号から滑走路の飛行機が見える地点で走行写真を撮り、箱根ヶ崎の新青梅立体交差から滑走路脇敷地外の側道へと進みます。しばらく行くと、オヮー我々を待っているカメラの放列... いや違う、レンズはみんな滑走路の方を向いてますね。いわゆる航空機趣味の皆さんが、大撮影会の真っ最中なのでした。

しかし何でこんなたくさんの人が?すかさず Eさんがそこにいた親子連れをつかまえて質問。判明したのは、横田基地の友好祭で普段見られない航空機が大挙して来てるんだそうな。これぞ廃線マニアと自転車マニアと航空機マニアが接近遭遇した、史上まれに見る一瞬でありました。あ、そういえば Eさん、鉄分もかなり濃いみたいです。


Icon横田基地のその先は

さて本題に戻って先へ進みます。基地から出て来た廃線跡はその前を走る江戸街道を斜めに横断し、ここから先は自転車道として桜並木の中を伸びて行きます。このあたり春先はホント、お奨めですよ。特に散りぎわの頃なんか、走ってて思わず「ええーぃ、この桜吹雪が...」なんて口走ってしまうくらい。

カメラマン I氏、「先行して待ち撮りしまーす」とダッシュして行きます。取材の中で一番大変そうなのは、やはりカメラマンさんですね。暑い中、リュックに撮影機材一式をズッシリと詰め、撮影場所では荷解きをしてカメラを構える。延々これの繰り返しですから、ホント体力勝負だと思います。一方、あれやこれやと楽しく会話しながらノロノロと進むは残りのメンバー。ところがツアコンはうっかり忘れていたのです、この先にお奨め撮影スポットがあったのを。とりあえず、Kさんに説明しておいて帰りに写真を撮ってもらう事にしましたが、自転車道脇の林の中には、砕石工場跡の土台が遺構として静かに眠っているのです。トロッコで運んで来た砂利を、ここで砕いたり分別したりしていたのだそうな。これ、行かれる皆様もお見逃しなきよう。もひとつ忘れてましたが、Eさんがどこぞのサイトから仕入れて来た情報「超ハイテクトイレ」の存在。ホントニアルノカナーと意識して見てたものの、結局それらしいものは発見出来ずに、廃線跡が狭山丘陵に突き当たる所まで来てしまいました。

閉鎖されたトンネル

さてここからがこのコースの圧巻、トンネル群の中を行くハイライト区間です。道路を渡り入って行こうとすると、トンネル前には地元の方々が椅子に座ってお出迎え。じゃなくて、中に入って初めてわかったんだけど、入り口から吹き出て来る涼風で涼んでたってわけですね。いゃー、天然クーラーのひんやり冷気が気持ち良いの何のって。「出たくなーい」って誰かさんが叫んだのも無理からぬこと。それとトンネルの小ささもここの特徴でして、軽便の小さな機関車ギリギリのサイズで掘り抜いてあるので、自転車上で手を伸ばせば天井に手が届きそう。

ひとーつ、ふたつ、みっつ、とトンネルを抜けるごとに周囲の森は鬱蒼と茂りだし、「東京じゃないよねぇ・・・」一人の発したこの言葉に、うんうん、その通りと、みんなで相づちを打ちます。天井から滴る水を少々浴びながら四つ目のトンネルを抜けると舗装路は終わり、砂利を蹴立てて進んで行くと五つ目のトンネル入り口。ここは閉鎖されており、周囲の風景も相まって何やら厳粛な雰囲気でした。


Iconそして山口貯水池へ

行き止まりから一つトンネルを戻り、上の多摩湖周回サイクリングロードを目指して脇道へと入ります。途中の坂道で息を整え休憩してると、「あ、ドングリ!」と販売 W氏。「上から降って来たんだョー。きっとトトロがいるんだ。」とファンタジーな事をおっしゃる。見渡すと確かにそんな風景で、みんなも思わず納得の表情。びみょーに歩幅と合わない階段を登ると、再び綺麗な舗装の自転車道となり、車道を橋で渡って周回ロードに合流。橋の下の車道をレーサー姿の人が猛スピードで駆け抜けていきましたが、こういうの見ると雑誌の人は、ついインタビューに追いかけたくなっちゃうとかならないとか...。

多摩湖、狭山湖に挟まれた低い尾根を抜けて行く車道に沿いながら、起伏に富んだサイクリングロードを行きます。ゴールも間近なのでスピードも上がって来ますが、おっといけない集団がまたバラけてる。少々待って再びまとまり、T字路の交差点を渡り、脇の細道から道路下の一段低い溝へと降りて行きます。

山口貯水池(狭山湖)堰堤にて

振り向けば、車道の下を抜けて来た廃線跡がフェンスの向こうからこの地道へと合流しているのです。という事でここで最後の廃線跡指南。狭山湖の堰堤へと向かうこの道は廃線跡そのものですが、右手上の道路を挟んだ向こう側には実は西武山口線の旧線路跡も存在するのです。

一旦道路へ出るともうそこは狭山湖の入り口、フィナーレの一っ走りで堰堤上へと飛び出す。左手に青々と水をたたえた湖面を望みながら、先頭 W氏のバンザイポーズでゴールイン〜。

てなわけで、即席廃線ツアコンはここにお役御免。ゴールした後は、貯水池を渡って来るそよ風を受けながら、走行後の余韻を楽しみます。掲示してあるダム建設時の写真や歴史解説で当時に思いを馳せたり、持ってきた装備(なんて程の物は持ち合わせてないですが)などもご披露させてもらった後、目出度く散会と相成ったのであります。

ちなみに時間の都合で復路はご一緒出来ませんでしたが、帰る道々で色々と事件もあったようで...(詳細は書きませんが ^^;) 編集部の皆さん、お疲れ様でした。これに懲りずに、またツーリング方面の企画もして下さいね。

山口貯水池(狭山湖)
この顛末の本編は、ランナーズより発行の「ファンライド」2004年10月号にてお読みになれます。
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