昼下がりの港町(九十九里〜銚子) 1998/08
 

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 九十九里から銚子へと向けて車を飛ばす。朝も10時を過ぎてやっと天気が持ち直して来た。右手に時折チラチラと見える太平洋はまだ暗い色をしているが、雲の間から所々薄日が射し、その下で白い波が踊っている。

 今朝はまったく散々だった。お盆休みのまっただ中、4時起きしてはるばる青梅から九十九里へとやって来たものの、東へ走る程に雲行きが怪しくなり、着いたらドシャブリの雨だった。がっかりだが、だいたいにおいて新盆の法事で田舎へ帰るついでに走ろうなどという不心得では、お天道様が見方してくれるはずもないのだが。

 小雨を見計らって東金から片貝海岸の廃線跡を部分的に自転車で走り、すぐ車に戻って銚子へと向かう事にした。今回のツーリングの目的は、海・旨い魚・そして昼下がりの港町をさ迷う事。場所は銚子の外川に白羽の矢をたてている。犬吠崎のすぐ南にあるが、鉄道マニアには漁港というより銚子電鉄の終着駅として知名度は高い。だが一般の人の間では犬吠崎ほど有名ではないので、静かなポタリングが出来るだろうと思う。

 銚子有料道路を名洗の出口で降り、犬若海水浴場へ車を停め、ジリジリした砂を踏みしめてポタポタと走り出す。すっかり晴れ上がってしまい陽射しは強いが、程良く潮風が吹いているので気分はすがすがしい。名洗から外川の港へとまわるが、昼間の港に人影はなく、係留された漁船が人知れずウェーブを繰り返している。港を一通りまわった後、海を背に駅の方へと坂道を登って行く。

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 駅に近づくと、普通何となく鉄道の「臭い」が感じられて来るものだが、ここにそれは無かった。民家の向こうに頼りない木の架線柱が見えたと思ったら、アララという感じで駅前に飛び出した。駅前広場と言うより路地の脇に若干の空き地があって、その一角に小さな木造の駅舎が建っているという雰囲気である。構内は緑の夏草が繁って、バラストが殆ど見えない。

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 しばらく待っているとカンカンと踏切の警報機が鳴り出し、程なく1両の電車が車体を揺らしてやって来た。短いホームにつんのめる様にして止まると、何人か乗って来た乗客を降ろす。折り返しまで間があるかと思ったがすぐに発車する様で、駅員が待合室にいたお客さんを急がせている。ドアが閉まり、グァグァと釣掛モータの音を響かせて電車が走り去ると、再び付近に昼下がりの静寂の世界が戻った。

 何人か乗って来た乗客は、いつの間にか三々五々路地の間に消えて行ってしまい、残ったのは観光客らしい若い女性の二人連れ。駅前の案内地図を覗き込んで、これからどこへ行こうか相談している。私も駅を離れ、路地の間を少し自転車を走らせてみる事にした。

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 家々は軒を重ねる様に立て込んでおり、それらが海に向かってなだらかに下って行く光景は港特有のものがある。どの路地も車一台通るのがやっとの広さだが、それで充分不便は無いのだろう。

 走っていると、人通りの無い道で猫が悠々と昼寝をしている。軒先で風鈴がチリンと鳴る。開け放たれた窓の奥から、おばさんの笑い声が聞こえて来る。そして、下って行く坂の向こうには、蒼い海が静かな広がりを見せていた。

 私は、何だか知らず知らずのうちに緩んだ口元のまま、あっちこっち自転車を走らせている。溜まっていたモヤモヤが体中から抜かれて行く様な、そんな感触を、快く感じていた。

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 坂を一気に下って再び海の方へと向かう。坂道をおりきった所で、ふいに「あの」感覚におそわれた。そう、夢から覚めるその瞬間、ストンと布団の上に意識の降り立つ、その時のものだ。同時に、海水浴客で賑わう砂浜の喧噪が耳に飛び込んで来た。耳の奥にたまっていた空気が、急に抜けたように、ハッキリと。

 堤防の先端まで行き、今下って来た街並みを振り返って港ごしに眺める。びっくりした。そこには、今まで見ていたのとは全く異なる世界が広がっていたのだ。ここから見ると、緑の丘に並ぶ家並みはどこか地中海的な景色、港の漁船も白いヨットの様だ。

 はたして、この街は二つの顔を持っているのだろうか。それとも、私がさまよっていたのは夢の世界なんだろうか...。車へと戻りながら、そんな事を考えていた。



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