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No.9356 : 八王子市街電車
| 2010/03/07(Sun) 04:28 |
投稿者: 和寒 URL: http://www.geocities.jp/history_of_rail/
御無沙汰してます。 近頃、高尾山に登山行(※)する機会が多いので、興味深く拝読しました。 ※先日の雪のあとに行ったら、ツルツルカチカチで怖かったです。
もしこの鉄道の構想が完成していたら、我が家の近くまで電車がきていたわけですな(笑)。 鳩ヶ谷−舎人−西新井という経路は、赤山街道沿いかなあ。鳩ヶ谷−舎人−竹ノ塚間ならばルートを読めますが、舎人−西新井間直結だとどんなルートを考えていたものか。さらに綾瀬まで行くとなると……。現「はるかぜT」が通っている大正新道を使うつもりだったのかな? ちなみに大正新道は大正十年にできてます。
構想ばかりで手つかずのわが「東上鉄道論」とも関連する(特に西板線区間で)ので、気になるところです。今後とも御教示のほど宜しくお願いします。
No.9357 : Re: 八王子市街電車
| 2010/03/07(Sun) 13:58 |
投稿者: H.Kuma URL: http://hkuma.com/
和寒さん、お久し振りです。
お忙しそうですが、その合間を縫って高尾登山も楽しまれているのですね。 往復は京王電車でしょうか。
この延長線構想、実現していたら確かに面白いですね。 戦時統合を経て京王グループの一員になっていたかも知れません。 ちなみに八王子電鉄時代の申請は全て鉄道線だったとの事で、専用の軌道敷を確保しようとしていたのだと思います。
No.9358 : Re^2: 八王子市街電車
| 2010/03/10(Wed) 06:51 |
投稿者: 和寒 URL: http://www.geocities.jp/history_of_rail/
毎度さんです。
高尾山には、いろんなパターンで行ってます。 ・JR+京王 ・京王のみ ・クルマ やはりJR+京王が楽ですね。クルマは混むし。
余談ながら、高尾山はミシュランでとりあげられたせいか、多国籍に混んでますね。でも、あんがいキツイですよ、あの登りは。メインの参道なんか、舗装はされているけど、かなり堪えますよ。 比較的楽なのは琵琶滝から上がる道くらいですかね。
延長線構想については、時代背景を考えると、ちょっと怪しいかも。基本構想線の資金繰りが苦しいから、敢えて大風呂敷広げて出資(増資)を募った、ということがありえそうです。延長線構想は、至るところで既存の鉄道と競合しますからねえ。 ※鳩ヶ谷付近でさえ武州鉄道(のち廃止)の延伸構想とぶつかる。
明治黎明期の大風呂敷と、日露戦争以降の大風呂敷とでは、意味合いが違うというのが、私の感覚です。明確な証拠はないんですが、自分の記事ではこんなことも書いていたりします。 http://www.geocities.jp/rail_of_shinsyu/ezo/taku/05.html
鹿島参宮鉄道(のち関東鉄道→鹿島鉄道→廃止)が浜から直角に曲がって鉾田を終点にしたのは、鉾田から出資を得たからというようなことを、故中川先生も著作中で示唆されてました。
No.9359 : Re^3: 八王子市街電車
| 2010/03/10(Wed) 19:51 |
投稿者: H.Kuma URL: http://hkuma.com/
和寒さん、こんばんは。
高尾山は確かに外人さんが多いみたいですね。 ケーブル駅あたりの麓をうろついただけでも、かなりの団体さんが屯しているのを見かけました。
藤山一派の延長線構想がどこまで本気だったかは私もよく分かりませんが、雲行きが怪しくなって来ると同時にあっさりと撤退しているあたりをみるにつけ、鉄道経営はあくまでビジネスと見ていたのは確かなようですね。 むしろ初期にこの鉄道を立ち上げた紅林七五郎の方が、地元という事もあり、情熱を持って進めていたのではないでしょうか。
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